全国映画演劇労働組合東宝支部
基本情報
- 所在地
- 〒100-0006
東京都千代田区有楽町1丁目7-1
- TEL / FAX
-
03-3201-4476
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- 労働組合・団体
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- 日本映画演劇労働組合
- 日本 映画演劇労働組合 (にほんえいがえんげきろうどうくみあい)は、かつて存在した日本の 映画 ・ 演劇 の産業別 労働組合 である。 東宝 争議を指導したことで知られる。略称日映演(にちえいえん)。 第二次世界大戦が集結した1945年(昭和20年)12月に 東宝 従業員 組合 ( 東宝
- 映画演劇労働組合連合会
- 上がった。1946年3月の賃上げ争議では、 東宝 従業員 組合 は日本共産党の指導で勝利していた。彼らも共産党の指導の下で同年4月結成された日本 映画演劇労働組合 に加盟している。 1962年(昭和37年)に、 全国映画演劇労働組合 (全映演)、日活 労働組合 とともに 映画演劇 共闘会議(映演共闘)を結成した。同年10月
- 東宝争議
- 労働 争議と言われる。 連合国軍総司令部内で敗戦日本の文化戦略を担当した民間情報教育局の 映画 班初代班長デーヴィッド・コンデは撮影所での 労働組合 の結成を急がせ、会社と交渉する方法等についても 組合 を指導した。 1945年(昭和20年)12月、 東宝 では、戦後の混乱と社会主義運動の高揚によって、 東宝
- 全国映画演劇労働組合
- 労働組合 総連合会(連合)に加盟している。 映画 ・映像・ 演劇 産業関係者の産業別 労働組合 であり、単一 組合 である。 東宝 争議を機に、1947年(昭和22年)5月1日、日本 映画演劇労働組合 (日映演) 東宝支部 から分離し、 東宝 の第二製作部( 東宝 第二撮影所、後の新 東宝 、現在の国際放映)に所属する 労働 者を中心に結成された。
- 暴力の街
- 力団による妨害を跳ね返してロケが敢行された。 東宝争議の妥結条件として日本 映画演劇労働組合東宝支部 が受け取った1500万円を資金としたとされる。日本 映画 人同盟と日本 映画演劇労働組合 の共同製作委員会による製作企画作品であり、 組合 旗が風に翻る映像がタイトルバックに使われている。配給の大映は、1500万円
- 1950年の映画
- 1月16日 - 新東宝配給株式会社創立。 1月17日 - 公正取引委員会、 東宝 と新 東宝 を独占禁止法の疑いで取調べ。 1月19日 - 時代劇の公開を各系統ごと月1本以内に自粛。 2月 東宝 争議の妥結資金により日本 映画演劇労働組合 (日映演)が製作した『暴力の街』(山本薩夫監督)が公開。第1次独立プロ運動への道を開いた。
- 全日本産業別労働組合会議
- 産別民主化同盟が発足後、産別会議をはじめとした各 組合 で民同派が主導するかたちで 労働 運動の分裂が進み、左右対立は激しさを増した。産別会議の加盟組織では、新聞通信において放送 支部 が脱退して日放労が結成され、読売・毎日・朝日が脱退の動きを見せるなかで新聞通信も産別会議を脱退した。また、日映演では第3次 東宝 争議をめぐって 東宝支部
- 前進座
- 中村梅之助「前進座80年」朝日新聞出版 日本移動 演劇 連盟 新協劇団 映画演劇労働組合 連合会(舞芸前進座 支部 ) 希望舞台 - 劇場は持っていないが、出演俳優の縁で首都圏では前進座劇場での連続公演が組まれることが多い 舞台芸術学院 新 演劇 研究所 - 前進座の稽古場で、研究生の入団試験をおこなった
- 夏木順平
- 寿雄。福岡県北九州市出身。 専属制が固まる前の1949年から 東宝 で俳優として活躍。同じく 東宝 で活動していた加藤茂雄によれば、当初は演技協社( 全国映画演劇労働組合東宝 演技者 支部 )と契約しており、1954年に第一次専属俳優が集められた際に加藤らとともに 東宝 専属になったという。
- 嵯峨善兵
- C.L. 映画 製作所へ移り、木村荘十二監督の『都会の怪異七時三分』等に出演。この頃一時期だけ細川ちか子と同棲していた。1937年(昭和12年)、 東宝 映画 の専属となり、脇役として多くの 映画 に出演した。 1946年(昭和21年)から 東宝 争議が発生し、嵯峨は日本 映画演劇労働組合 (日映演) 東宝支部
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