常立寺
基本情報
- 所在地
- 〒162-0053
東京都新宿区原町2丁目57
- TEL / FAX
-
03-3203-7438
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
- 最寄り駅
- 都営大江戸線 牛込柳町 300m
- 東京メトロ東西線 早稲田 480m
- 都営大江戸線 若松河田 510m
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- 常立寺
- 常立寺 (じょうりゅうじ) 常立寺 (新宿区) - 東京都新宿区にある日蓮宗の寺院。 常立寺 (藤沢市) - 神奈川県藤沢市にある日蓮宗の寺院。 常立寺 (京丹後市) - 京都府京丹後市にある浄土宗の寺院。 常立寺 (佐賀市) - 佐賀県佐賀市にある真宗本願寺派の寺院。 常立寺 (福岡県福智町) - 福岡県田川郡福智町にある寺院。
- 常立寺 (京丹後市)
- 寺 を今の場所に移転させられ、跡地には武家屋敷が敷かれた。さらに、京極家の菩提所が浄土宗であることから、 常立寺 は浄土宗に転宗を命じられた。京都知恩院の末寺とされる。 初代京極高通は1665年(寛文5年)に没し法名を安泰院道栄、2代京極高供は1674年(延宝2年)に没し、法名を 常立
- 京極高備
- 立 って次々と早世するなど、不幸な晩年の中で天保6年(1835年)5月3日に死去した。享年79。墓所は京都府京丹後市峰山町吉原の安泰山 常立寺 。 京極高備によって創建された金刀比羅神社 金刀比羅神社に奉献した青銅燈籠 常立寺 にある京極高備の墓 父:京極高久(1729-1808)
- 京極高景
- 家督を譲って隠居する。文久3年(1863年)7月20日、江戸で死去した。享年53。法号は成徳院行誉高景道完。墓所は京都府京丹後市峰山町吉原の安泰山 常立寺 。 父:松平忠馮(1771-1819) 母:不詳 養父:京極高鎮(1811-1834) 正室:山口弘致娘 生母不明の子女 長男:京極高富(1836-1889)
- 京極高之
- われた。享保8年(1723年)2月2日、46歳で死去し、跡を婿養子の高長が継いだ。法号は隆源院天誉頭含道倫。墓所は京都府京丹後市峰山町吉原の安泰山 常立寺 。 父:京極高明(1660-1726) 母:熊谷依貞の娘 正室:脇坂安照の養女 - 脇坂安村の娘 生母不明の子女 女子:京極高長正室 養子 男子:京極高長(1695-1769)
- 京極高長
- 居し、明和6年(1769年)4月3日に江戸で死去した。享年75。 法号は源寥院廓誉常光道仙。墓所は東京都江東区白河の道本山霊巌 寺 。後に京都府京丹後市峰山町吉原の安泰山 常立寺 に改葬。 父:内藤弌信(1658-1730) 母:不詳 養父:京極高之(1678-1723) 正室:京極高之の娘 養子 男子:京極高久(1729-1808)
- 京極高久
- 文化5年(1808年)4月20日、江戸にて死去し、跡を高備が継いだ。享年80。法号は謙徳院明誉高久道徴。墓所は京都府京丹後市峰山町吉原の安泰山 常立寺 。 父:京極高庭 母:京極高方の娘 兄弟 弟:瀬名孫助 弟:大岡直往 弟:池田富郷 養父:京極高長(1695-1769) 正室:木下利潔の娘 長男:京極高備(1757-1835)
- 京極高富
- 1884年)、子爵となる。明治22年(1889年)2月9日、55歳で死去。跡を新たに養子とした高致が継いだ。墓所は京都府京丹後市峰山町吉原の安泰山 常立寺 。 父:京極高景(1812-1863) 母:不詳 正室:稲垣長剛娘 室:牧野貞幹娘 養子 男子:京極高陳(1838-1893?) - 京極高紀の次男
- 峰山1区
- 天文24年(1555年)、徳及阿闍梨によって 常立寺 が創建された。天正10年(1582年)、細川興元は一色氏の山城である吉原山城の麓に嶺山(峰山)の城下町を建設した。元和2年(1616年)には京極高通によって峰山陣屋が構えられ、元和8年(1622年)には峯山藩が 立 藩された。
- 京極高陳
- 明治26年(1893年)5月13日に56歳で死去したとされるが、異説もある。「峰山郷土史」(上)には先述の年月日に没し、墓所は峰山町吉原の安泰山 常立寺 とあって、『三百藩藩主人名事典』3もこの記述を引用している。しかし『平成新修旧華族家系大成』によると、1893年5月13日に死去したのは高陳の2代
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