慈照院
基本情報
- 所在地
- 〒112-0002
東京都文京区小石川4丁目12-6
- TEL / FAX
-
03-3814-8487
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
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- 慈照院
- 慈照院 (じしょういん)は、以下の人物や寺院などの 院 号。 慈照院 (南部信直継室) - 南部信直の継室で、盛岡藩主南部利直の母。泉山古康の娘。 保姫 - 一橋徳川家当主徳川宗尹の娘。薩摩藩主島津重豪の正室。 慈照院 (文京区) - 東京都文京区にある曹洞宗の寺院。 慈照院 (足立区) - 東京都足立区にある真言宗の寺院。
- 慈照寺
- 慈照 寺である。寺号は義政の 院 号である 慈照院 殿にちなみ「 慈照院 」とされたが、翌年「 慈照 寺」に改められた。なお、造営自体が完了したのは義政死去後である。 戦国時代中期の天文19年(1550年)には第12代将軍足利義晴とその子で第13代将軍義輝により 慈照
- 南部利直
- 父:南部信直(1546-1599) 母: 慈照院 - 泉山古康の娘 正室:武姫、於武の方、源秀 院 - 蒲生氏郷の娘(一説に養妹)。 三男:南部重直(1606-1664) 四男:南部利康 女子:東胤政室 側室:法源 院 - 山田九郎左衛門の妹 男子:山田利長 側室:仙寿 院 (1604-1673) - 中野嘉兵衛正吉の娘
- 桂宮
- る桂離宮に対して、それ以外の別邸・別殿については西和夫・小沢朝江によって分析がなされている。 桂宮家および分家の広幡家の菩提寺は相国寺塔頭の 慈照院 である。 慈照院 には桂宮家および広幡家ゆかりの建物が多く残り、客殿は桂宮邸から移築されたものである。 智仁親王(誠仁親王(陽光太上天皇)の王子で、後陽成天皇の弟)
- 円応教
- は「神様の言われた7年の行が終わった時、自分は死ぬ」と予言したという。教えは弟子により引き継がれ、1925年(大正14年)2月9日、千代子の法名「 慈照院 圓應智覺大姉(じしょういんえんのうちかくだいし)」より「円応」の二字を取って「円応法修会」が設立され、佐々木俊蔵が会長に就任。1931年2月6日に
- 長谷寺 (鎌倉市)
- 長谷寺(はせでら)は、神奈川県鎌倉市長谷にある浄土宗系統の単立寺院。正式には海光山 慈照院 長谷寺(かいこうざん じしょういん はせでら 山号: 海光山、 院 号: 慈照院 )と号し、長谷観音(はせかんのん)の名でも知られている。本尊は日本最大級の木造仏像である十一面観世音菩薩像。開山は徳道上人。坂東三十三観音霊場の第四番札所である。
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- 明応4年(1495年)、六角高頼の次男として誕生。 明応8年(1499年)、京都にある相国寺鹿苑 院 において景徐周鱗の門人として剃髪、一旦近江に帰国するものの、文亀3年(1503年)までには再び周鱗の下に戻り、文亀4年(1504年)4月に同寺 慈照院 にて正式に得度、名を光室承亀、号を江月斎と称した。
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- 代の家臣に諸大夫として渡邊家、上田家、岸本家、森家、侍として葛西家、太田家、毛利家などがある。廣幡家の菩提寺は八条宮家(桂宮家)と同じ相国寺塔頭の 慈照院 。 初代の忠幸には女子しかなかったので、2代当主には村上源氏の久我家から養子豊忠が迎えられた。歴代当主には豊忠、前豊、経豊など内大臣まで昇る者が多
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- 務卿及び式部卿に任命され、二品となった。 家女房 第一王子:貞清親王(1596-1654) - 第10代伏見宮 生母未詳 良嶽聖久(?-1631) 高秀尊覚( 慈照院 、1615-1693) ^ a b 『邦房親王』 - コトバンク 『邦房親王』 - コトバンク 四親王家御系譜 表示 編集 表示 編集
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