法明寺
基本情報
- 所在地
- 〒171-0022
東京都豊島区南池袋3丁目18-18
- TEL / FAX
-
03-3971-4383
- e-MAIL
- URL
- http://www.homyoji.or.jp
- 業種
- 寺院
- コメント
- 最寄り駅
- 都電荒川線 都電雑司ヶ谷 380m
- 都電荒川線 鬼子母神前 450m
- 東京メトロ副都心線 雑司が谷 470m
- 周辺情報
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- 法明寺
- 法明寺 (ほうみょうじ) 法明寺 – 東京都豊島区南池袋三丁目(豊島郡雑司ヶ谷村)にある日蓮宗の中本寺。威光山。威光寺(真言宗時代)。雑司ヶ谷鬼子母神。江戸三大鬼子母神の一つ。 三重県員弁郡東員町にあった員弁寺の塔頭。廃寺。 法明寺 – 京都府相楽郡笠置町大字有市字西畷(上有市)にある真言宗豊山派の
- 法明寺 (豊島区)
- 法明寺 と改称した。室町時代、鬼子母神が安置されて茶屋などが軒を連ね門前町を形成した。 旧本山は身延山久遠寺。通師雑司が谷 法 縁の縁頭寺。 810年(弘仁1年)威光寺が創建する。 1312年(正和1年)日源が日蓮宗に改宗し、 法明寺 と改称する。 1665年(寛文5年)不受不施派の弾圧により、 法明寺 15世・日了は流罪となる。
- 雑司が谷
- 谷停留場も南池袋にある。雑司が谷にあるのは都電鬼子母神前停留場と東京メトロ副都心線雑司が谷駅である。駅名の由来にもなっている 法明寺 の鬼子母神堂も地内にある(鬼子母神堂は 法明寺 飛地に位置し、本堂は南池袋になる)。町域内は幹線道路沿いにオフィスビルなどの高層建造物が見られるほかは、住宅地となっている。
- 鬼子母神
- 三昧耶形は吉祥果。種字はウーン(हूं hūṃ)。 「きしぼじん」という読み方は「ぼ」が漢音表記であり、呉音を通例とする仏教用語としては一貫したものではない。東京都豊島区にある 法明寺 鬼子母神堂(この鬼は一画目の点が無い字が正)は「きしもじん」である。ただ同堂の近くに位置する都電荒川線の鬼子母神前停留場は「きしぼじんまえ」が正式名になっている。
- 桜堂薬師
- 弘仁3年(812年)、堂宇を建立し、昔から小堂で祀られていた一寸八分の医王薬師像を、桜木で刻んだ薬師如来像の胎内仏として、 桜の葉の 法 名・ 法 命・寶命・ 法 妙から瑞桜山 法明寺 と名付けた。 弘仁3年(812年)、嵯峨天皇が病となり覚祐が祈祷したところ効があったため、朝廷の勅願寺となり、観音堂を奥院として七
- 融通念仏宗
- 間も融通念仏・大念仏宗の法統が途絶えたが、7世 法明 によって中興された。 法明 は宗門の中断中に石清水八幡宮に預けられていた宗の 法 宝物を再び受け取り、六別時の制度を定めたとされる。 六別時とは河内国若江郡若江村 法明寺 を中心とする下別時、摂津国住吉郡平野荘良 明寺 を中心とする八尾別時、河内国丹南郡丹南村来迎寺
- 岩田久利
- 父の創立になる岩田工芸硝子を継ぎ、社長をつとめつつ制作を続け、斬新で優美な作風を示した。宙吹きガラスを得意とし、国際的にも高い評価を得た。 墓所は、日蓮宗威光山 法明寺 (豊島区)、戒名は、輝光院能持日久居士。 1925年 [大正14年] 東京新宿弁天町に二代目岩田藤七の長男として生まれる。 1939年 [昭和14年] 小寺健吉画塾に学ぶ。
- 鬼子母神前停留場
- 2008年(平成20年)6月14日:東京メトロ副都心線雑司が谷駅開業に伴い、乗換駅になる。 当停留場の読み方は「きしぼじんまえ」であるのに対し、 法明寺 の鬼子母神堂は「きしもじん」または「きしもしん」と読みが異なる。また、当所における正式な「鬼子母神」の「鬼」の表記は、1画目の点がない字を用いる。
- 圓明寺
- 圓 明寺 (えんみょうじ)は、愛媛県松山市和気町にある真言宗智山派の寺院。須賀山(すがざん)、正智院(しょうちいん)と号す。本尊は阿弥陀如来。四国八十八箇所第五十三番札所。近年は円 明寺 と表記されることが多い。 本尊真言:おん あみりた ていぜい からうん ご詠歌:来迎の弥陀の光の圓 明寺 照りそふ影は夜な夜なの月
- 岩田藤七
- 1935年の個展には与謝野晶子が歌を二首、堀口大學が一編の詩を添えている。 藤七が墨流しなる玻璃を吹き 世の新しくなれる夏かな 与謝野晶子 墓所は、日蓮宗威光山 法明寺 (豊島区)、戒名は、璃光院寿翁日藤居士。 1893年 [明治26年] 宮内庁御用達呉服商・初代岩田藤七の長男として東京日本橋本町に生まれる。幼名、東次郎。
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