耕雲庵
基本情報
- 所在地
- 〒380-0864
長野県長野市大字長野立町1140
- TEL / FAX
-
026-233-2211
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
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- 花山院長親
- 家し、臨済宗法燈派の聖徒明麟に就いて子晋明魏と号した。応永2年(1395年)東山如住院へ移り、同5年(1398年)その付近に 耕雲庵 を結んで南禅寺の塔頭とし、その 庵 号をもって 耕雲 とも称した。またこの前後に明麟の開いた同寺塔頭の禅栖院にも住する傍ら、『両聖記』・『霊巌寺縁起』・『衣奈八幡宮縁起』を執筆し
- 芳賀幸四郎
- 1996年:叙従四位。 禅を極め、臨済宗妙心寺派系の法を修めた。 庵 号を如々 庵 (にょにょあん)、道号を洞然(とうねん)。自ら一行物の墨蹟を数多く残すとともに、老師として禅語の解説書も著わした。 1934年 両忘 庵 釈宗活老師に入門。その法嗣の一夢 庵 大峡竹堂・ 耕雲庵 立田英山老師に参じる
- 大林寺 (横浜市)
- 長津田町の岡部谷戸には大林寺が管理する種月山 耕雲庵 ( 耕雲 堂)がある。1691年(元禄4年)に種月 耕雲 が虚空蔵菩薩を祀って開基し、開山は大林寺八世の久菴園良和尚。 『新編武蔵風土記稿』には「岡部谷ニアリ大林寺持ノ寮ナリ」と記される。 1857年(安政4年)に江林塾が設けられ、後の長津田小学校の前身となった。 境内の「種月山 耕雲庵
- 白蔵主
- 白蔵主/伯蔵主/白蔵司(はくぞうす)は、日本の妖狐、稲荷神である。狂言『釣狐』の題材となったとされる。 永徳元年(1381年)に、和泉にある少林寺塔頭の 耕雲庵 の住侶に白蔵主という僧がいた。白蔵主は稲荷大明神を常に信仰して、毎日法施を怠らなかった。 ある時、竹林にて片足を失った三本足の白狐に出会い、連れて
- 香林寺 (関市大杉)
- 香林寺(こうりんじ)は岐阜県関市大杉にある聖観世音菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院。山号は 耕雲 山。 天正11年(1583年)8月に伝芳慈賢が 耕雲庵 として開山した。 元文2年(1737年)に晦翁智覚が現在の寺号に改めた。 本堂の他に大師堂があり、中濃八十八ヶ所霊場の八十三番札所となっている。
- 少林寺 (堺市)
- いった。しかしその後も、豊臣秀吉が石田三成と小西行長に命じて境内竹木の伐採を禁止するなど、小さな寺ながら名刹の扱いを受けていた。 1381年に塔頭 耕雲庵 の住持白蔵主が、鎮守稲荷明神に參籠して「霊狐」を得る。そして狂言大蔵流の始祖・霊狐の所作を狂言に作り、『釣狐』として上演した。それ以後、狂言や歌舞
- 金沢市立中村記念美術館
- した品をはじめ、書跡、絵画、陶芸、漆芸、金工などの美術品を収蔵・展示する。本多の森公園の斜面緑地に接した敷地に、本館、別館(旧中村邸)、茶室(梅 庵 、 耕雲庵 )が配されている。辰巳用水が滝となって流れる斜面の階段「文化の小径」「歴史の小径」を上がれば石川県立美術館、斜面緑地に沿って「緑の小径」を進めば鈴木大拙館に出ることができる。
- 両忘協会
- 界中の禅道場運営の形式に影響を与えた。宗活は4年間滞米し、あとに佐々木指月のみを残して帰国した。 宗活は、 耕雲庵 立田英山、一夢 庵 大峽竹堂、後藤瑞巌、そして曹溪 庵 佐々木指月に法を継がせた。 耕雲庵 は人間禅、すなわち禅による人間精神の教化を開始した。人間禅教団の使命は、「地上に楽園を出現させること」であ
- 駒澤大学
- Plan:事業継続計画)に寄与する。種月館の名称由来は、禅語の「 耕雲 種月(こううんしゅげつ)」から採り命名された。 耕雲 とは 雲 の下で耕すことで、種月は月の照らす中で植えること。あわせて労苦を厭わず耕作して種をまく、つまり、修行に精進することを指す。「 耕雲 館」(禅文化歴史博物館)に隣り合う新棟に「種月」の名を冠
- 人間禅
- 象にした禅会であり、師家も在家のままである。千葉県市川市に本拠地を置く宗教法人である。 人間禅は、 耕雲庵 立田英山が1949年3月に、設立。 1875年(明治8年)、奥宮慥斎、山岡鉄舟、高橋泥舟、鳥尾得 庵 、中江兆民等が鎌倉円覚寺の蒼龍窟今北洪川管長を拝請し、一般の人々を対象として始めた修禅の会「両忘会」に源を発している。
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