浄住寺
基本情報
- 所在地
- 〒920-0867
石川県金沢市長土塀3丁目13-22
- TEL / FAX
-
076-261-5782
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
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- 浄住寺
- 寺伝によれば、810年(大同5年、弘仁元年)に嵯峨天皇の勅願寺として創建されたといい、円仁(慈覚大師)を開山とする。当時は常 住寺 と号した。 1261年(弘長元年)公卿葉室定嗣が中興し、 浄住寺 と改められた。中興開山は奈良西大寺の叡尊。葉室家の菩提寺として栄えた。 1333年(正慶2年)4月の六波羅探題軍と千
- 鉄牛道機
- 659年(満治2年)号を鉄牛、名を道機と改め、その法を嗣いだ。 教禅一致の立場に立って教化につとめ、宇治黄檗山萬福寺の造営に尽くし、京都洛西葉室山 浄住寺 を中興、相模小田原藩主稲葉正則の招きで紹太寺、江戸弘福寺などの開山となる。鉄眼道光の『大蔵経』の開版に協力し、下総匝瑳郡の椿海の干拓などの社会事業にも力を入れた。
- 西京区
- 華厳寺(鈴虫寺) 法輪寺 勝持寺(花の寺) 永光山地蔵院 (竹の寺)臨済宗系の単立寺院。1367年に室町幕府管領の細川頼之が衣笠山に建立する。 浄住寺 臨勝寺 善峯寺 - 西国三十三所第20番札所 正法寺 金蔵寺 樫原廃寺跡 - 国の史跡 桂地蔵寺 - 京都六地蔵の1つ 弥勒寺 主な神社 大原野神社
- 伊達綱村
- 平泉にある源義経ゆかりの高館・義経堂は、天和3年(1683年)に綱村によって建立された。京都にある葉室家の菩提寺・ 浄住寺 の方丈は元禄10年(1697年)に綱村の屋敷を移築したもの。 元禄6年(1693年)、藩主・綱村中心の専制政治に対し、伊達一族は反発、諌言に及ぶ。
- 葉室定嗣
- た。文永9年(1972年)7月28日に死去。 その日記『葉黄記』は、朝廷側の立場から鎌倉中期という時代を活写した史料として貴重である。また晩年には 浄住寺 の中興を手がけたことでも知られている。 父:葉室光親(1176-1221) 母:吉田経子 - 吉田定経の娘 妻:「女房」(詳細不明)、春日神主時継娘
- 叡尊
- 正嘉2年(1258年) - 絵師・堯尊に金剛界曼荼羅を描かせる。 文応元年(1260年) - 絵師・堯尊に胎蔵界曼荼羅を描かせる。 弘長元年(1261年) - 浄住寺 授戒と『四分律行事鈔』の講義を行う。北条実時の使者が訪れ関東への下向を懇請する。 弘長2年(1262年) -
- 地蔵院 (京都市西京区)
- 京都府京都市西京区 山田 北ノ町23 京都駅から京都バス苔寺・すず虫寺行き終点下車、徒歩3分 西芳寺 - 通称:苔寺 華厳寺 - 通称:鈴虫寺 浄住寺 – 黄檗宗 山折哲雄・槇野修 『京都の寺社505を歩く』 PHP新書 ^ “地蔵院の由緒”. 竹の寺 地蔵院. 2022年7月31日閲覧。 ^ 山折哲雄・槇野修
- 上桂駅
- 京都洛西観音霊場第二十六番札所 谷ヶ堂最福寺延朗堂 - 延朗による開山。 玄忠院 地蔵院(竹の寺) 来迎寺 - 京都洛西観音霊場第三十二番札所 浄住寺 - 葉室家菩提寺、京都洛西観音霊場第三十番札所。 葉室家墓地 苔香居(山口家住宅) - 文化庁国登録有形文化財、京都市指定景観重要建造物。 葉室御霊神社
- 毛利就隆
- 大納言・葉室頼孝室。寛永16年7月24日(1639年8月23日)に江戸で出生。宝永8年1月10日(1711年2月26日)没。享年73。法名は長寿院殿天桂照栄大姉。墓所は京都西山の 浄住寺 。 家女房:清涼院(?-?) - 名は滝子。佐藤隆信(出雲守)の娘。 四女:鍋子(?-1676) - 別名は万子。京極高冬(丹後宮津藩2代藩主・京
- 潙山霊祐
- 住寺 は同慶寺の号を賜った。弟子の中に仰山慧寂があり、彼らの門流を、後世「潙仰宗」と称した。 大中7年(853年)正月9日、没す。春秋83、法臘64(『宋高僧伝』では59)。諡して大圓禅師といい、塔は清浄塔という。 百丈禅師が潙山の開山を弟子の華林覚と霊祐のどちらかにさせようとした時に、 浄
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