顕光院 / 会館
基本情報
- 所在地
- 〒420-0029
静岡県静岡市葵区研屋町45
- TEL / FAX
-
054-251-0947
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
- 最寄り駅
- 静岡鉄道静岡清水線 新静岡 1140m
- JR東海道本線 静岡 1340m
- 東海道新幹線 静岡 1400m
- 静岡鉄道静岡清水線 日吉町 1470m
- 周辺情報
- 静清信用金庫研屋町支店 信用金庫
- 日刊工業新聞静岡支局 新聞社
- デニーズ静岡二番町店 デニーズ
- 一番町保育園 保育所
- 昭和通り 道路名
- セブンイレブン静岡本通4丁目店 セブン-イレブン
ウィキペディア検索
- 顕光院
- 顕光院 (けんこういん)は、静岡県静岡市葵区研屋町(とぎやちょう)にある曹洞宗の仏教寺院。山号を医王山(いおうざん)と称する。本尊は十一面観世音菩薩、開山は揚室印播禅師。天文元年(1532年)の創建当初は真言宗の寺院だったが、元亀2年(1571年)に曹洞宗に改宗したとされる。
- 戸隠神社
- 光 社の上1.5kmほどの場所にある。なお、他の4社が神仏混淆であった時代も当社だけは一貫して神社であって、かつての 顕光 寺とは関係がない。 中社(ちゅうしゃ):「戸隠山 顕光 寺流記」によると、寛治元年(1087年)に当時の別当が、「当山は三 院 たるべし」という夢告を受け、奥 院 (現在の奥社)と宝 光院
- 佐久間勝之
- 顕光院 に葬る。戒名は初め瓘岩成璨勝之 院 。後に子孫が江戸二本榎広岳 院 に墓所を移した際に泰山正安玉鳳 院 と改めたという。現在 顕光院 には勝之の墓塔と推定されている五輪塔があり、平成16年には位牌が新調されている。近江高島領の菩提寺幡岳寺(滋賀県高島市)の過去帳には諱が勝正となっている。ちなみに広岳 院 に墓は現存していない。
- 藤原顕光
- 藤原 顕光 (ふじわら の あきみつ)は、平安時代中期の公卿。藤原北家、関白太政大臣・藤原兼通の長男。官位は従一位・左大臣。 父・兼通が関白になると、昇進して公卿に列するが、兼通の死後はその弟・兼家( 顕光 の叔父)と道長( 顕光 の従弟)父子に実権を奪われる。無能者として知られ、朝廷の儀式で失態を繰り返して
- 前田慶寧
- 母:溶姫(1813年 - 1868年) - 徳川家斉の二十一女 正室:崇姫(霊鑑 院 、有馬頼徳の娘)(1832年 - 1856年) 継室:範姫(通子・ 顕光院 、鷹司政通の養女 - 久我建通の娘)(1846年 - 1864年) 側室:扶伝(筆・梃秀 院 、家臣・久徳政信の娘) 長女:禮子(1854年 - 1899年) -
- 櫛橋光
- 夫・孝高や息子・長政は受洗してキリシタンとなったが、 光 は熱心な浄土宗の信徒で、慶長9年(1604年)の夫・孝高の死後に出家し、照福山 顕光院 圓應寺(後に火災で焼失)を建立した。また、京都において報土寺に塔頭・照福 院 を建立(その後、報土寺が寺地を移転により本寺に統合されたが、墓所は現在
- 久我建通
- 長男:久我通久 生母不明の子女 三男:愛宕通旭 - 愛宕通致養子 四男:北畠通城 - 妻は石山基正の娘・正子、正子の外祖父は澤為量 女子:範姫 - 通子、 顕光院 、鷹司政通養女、前田慶寧継室 三女:幸姫 - 幸子、松平茂昭正室 男子:野宮定美 - 野宮定功の養子 男子:東久世通暉 - 東久世通禧の養子、後に離籍
- 盛子内親王
- 貞元2年(977年)以前に藤原 顕光 と結婚する。貞元2年に重家を、引き続いて元子(一条天皇女御)、延子(敦明親王(小一条 院 )妃)の二女をもうける。長徳4年(998年)7月20日、薨去した。 祖父・源庶明、母・計子を経て、広幡第を継承したとされる。広幡第はその後、夫である藤原 顕光 を経て僧・仁康に施入され、広幡寺とされた。
- 雲光院
- 雲 光院 (うんこういん、天文23年2月13日(1554年3月16日)-寛永14年1月22日(1637年2月16日))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての女性。徳川家康の側室。飯田氏。名は須和。号は阿茶局、雲 光院 、民部卿、一位局、一位尼。実子として神尾守世、神尾守繁、養子として神尾元勝、菊姫がいる。
- 敦明親王
- 院 (こいちじょういん)。藤原道長の圧力の前に自ら皇太子の身位を辞退し、その見返りに准太上天皇としての待遇を得た。 正暦5年(994年)に皇太子・居貞親王の第一皇子として生まれる。父の居貞親王は、長く年下のいとこである一条天皇の皇太子であった。寛弘3年(1006年)11月に元服。この後、藤原 顕光
企業データ
PAGE TOP