天猷寺
基本情報
- 所在地
- 〒509-6472
岐阜県瑞浪市釜戸町1517-1
- TEL / FAX
-
0572-63-2044
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
- 最寄り駅
- JR中央本線 釜戸 880m
- JR中央本線 瑞浪 5870m
- JR中央本線 武並 6240m
- 周辺情報
- コスモ石油セルフ釜戸SS コスモ石油
- 瑞浪市立釜戸小学校 小学
- デイリーヤマザキ瑞浪釜戸店 ヤマザキデイリーストアー
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- 竜吟の滝 滝
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- 天猷寺
- 天猷寺 (てんにゅうじ)は、岐阜県瑞浪市釜戸町にある臨済宗妙心寺派(龍泉派)の寺院。山号は龍吟山。美濃瑞浪三十三霊場三番。 元和2年(1616年)に旗本釜戸馬場氏の初代の馬場昌次が、父の馬場昌祐の菩提を弔うために、妻木郷の崇禅 寺 から籌屋西堂を開山として招いて、小庵として開基した。 寺 号は昌祐の法名に因んでいる。
- 馬場利重
- 慶安5年(1652年)1月28日に辞職。法名は捩鉄。 明暦3年(1657年)に死去。江戸牛込の松源 寺 に葬られた。 釜戸馬場氏の菩提寺である 天猷寺 にも墓がある。 [脚注の使い方] ^ 木曾の長福寺の住職 釜戸馬場氏 『寛政重修諸家譜 第2
- 馬場昌次
- 元和2年(1616年)に昌次は、父の馬場昌祐の菩提を弔うために、崇禅 寺 から籌屋和尚を開山に招いて菩提寺として釜戸村に 天猷寺 を開基した。 その後、駿府城へ赴き家康に拝謁したこともあったが、多病となって釜戸陣屋で暮らし、元和4年(1618年)7月16日に没した。 法名は玄勝。釜戸村の 天猷寺 に葬られた。 [脚注の使い方] ^ 木曾の長福寺の住職
- 釜戸馬場氏
- 常陸国河内郡 高田村の内 190石8斗0升9合998 釜戸馬場氏の菩提寺は、臨済宗妙心寺派の龍吟山 天猷寺 (岐阜県瑞浪市釜戸町)である。 境内には、二代の利重から九代の昌平まで累代の高さが2m以上の墓石塔が並んでいる。 天猷寺 の北西には10代目以降の累代の墓石塔がある。 『瑞浪市史 歴史編』 第五編 兵乱の世
- 瑞浪市立釜戸小学校
- 瑞浪市立釜戸小学校(みずなみしりつ かまどしょうがっこう)は、岐阜県瑞浪市にある公立小学校。 1873年(明治6年) - 宿村に誠之館が開校。 天猷寺 を仮校舎とする。 1875年(明治8年) - 公文垣内村、中切村、大島村、荻之島村、釜戸宿村、上平村、平山村が合併し、釜戸村となる。 誠之学校に改称する。
- 龍気寺
- 寺 を失った赤河村の檀徒も加わった。 廃寺復興の第一段階を終えた仁應宗義(森平右衛門)は、その後の住職を法嗣の宗哲に譲ったが、土岐郡釜戸村の 天猷寺 の朴雲和尚の頼みにより、土岐郡土岐村の禅躰 寺 の堂守を勤め、次いで土岐郡大湫村の宗昌 寺
- 信光寺 (瑞浪市)
- 瑞浪市 昭和49年(1974年) 『ふるさとの歴史 : 郷土学習のための各町概史 (瑞浪市郷土史シリーズ ; その1)』 土岐町概史 近世 神篦本村 p59~p66 渡辺俊典 瑞浪市郷土史研究会 1983年 [脚注の使い方] ^ 信光寺開創由緒 ^ 天猷寺 文書に哲堂祖十が中興開山とある
- 釜戸陣屋
- 岐郡釜戸村の釜戸陣屋を拠点として2600石を有した。2代目の馬場利重は島原の乱の後長崎奉行を勤めた。また利重の妻は妻木城主の妻木家頼の娘である。後に恵那郡の275石の領地は分家した茄子川馬場氏が治め明治に至った。 岐阜県瑞浪市釜戸町1199-1 釜戸馬場氏 茄子川馬場氏 天猷寺 木曾衆 表示 編集
- 椿寺
- 椿 寺 (つばきでら)はツバキで知られる寺院の通称。「椿の 寺 」とも。 勝興寺 - 富山県高岡市にある浄土真宗本願寺派の寺院 本光寺 (珠洲市) - 石川県珠洲市にある曹洞宗の寺院 天猷寺 - 岐阜県瑞浪市にある臨済宗妙心寺派の寺院 陽泉院 - 滋賀県東近江市にある浄土宗の寺院 地蔵院 (京都市北区) -
- 龍福寺 (岐阜県富加町)
- して寺領を寄進し、伊深佐藤氏の菩提寺として龍福 寺 を建立し、 天猷 玄晃を招いて創建開山としたが、 天猷 玄晃は師の蘭畹玄秀を請じて勧請開山とした。 隠居後の佐藤紀伊守は「三省」と称し、もっぱら龍福 寺 のために尽くし、様々な配慮を行った。龍福 寺 には、佐藤紀伊守が 寺 の領地を定めた自筆の文書が残っており、寺領の範
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