櫛笥寺
基本情報
- 所在地
- 〒590-0944
大阪府堺市堺区櫛屋町東4丁1-15
- TEL / FAX
-
072-233-6571 / 072-233-6561
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
- 最寄り駅
- 阪堺電軌阪堺線 花田口 460m
- 南海高野線 堺東 530m
- 阪堺電軌阪堺線 大小路 540m
- 周辺情報
- 妙満寺 仏閣(寺、観音、不動、薬師)(増強用)
- 興覚寺 仏閣(寺、観音、不動、薬師)(増強用)
- 大阪府立泉陽高校 高校
- 堺市立殿馬場中学校 中学
- 土居川公園テニスコート テニスコート
- 堺市立熊野小学校 小学
- 土居川公園 都市緑地・緑道
- 堺出口(阪神高速15号堺線) IC(都市高速道路)
- 堺材木町郵便局 中央、普通郵便局、特定郵便局、簡易郵便局
- 15号堺線 道路名
- 妙国寺 仏閣(寺、観音、不動、薬師)
- ブックスノーザン 書店
- 炭火焼肉酒家牛角堺東店 その他のファミリーレストラン
- ファミリーマート堺櫛屋町東二丁店 ファミリーマート
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- 櫛笥寺
- 櫛笥寺 (くしげじ)は、大阪府堺市堺区櫛屋町東にある日蓮宗の寺院。山号は具足山。旧本山は京都立本寺、親師法縁。つぼ日審さんの 寺 とよばれ安産腹帯で知られる。 区内には由緒寺院妙国 寺 をはじめ付近の興覚寺や朝日 寺 (堺市)、月蔵 寺 などの日蓮宗寺院が多数ある。 明応元年(1492年)創建された。 寺
- 櫛笥賀子
- 櫛笥 賀子(くしげ よしこ、延宝3年(1675年) - 宝永6年12月29日(1710年1月28日))は、江戸時代中期の女性。東山天皇の後宮で、中御門天皇と閑院宮直仁親王の生母。 初名は慶子(読み同じ)だったが、宝永4年(1707年)に自身が生んだ皇子の親王宣下を受けて諱が「慶仁」と定められたことで
- 中御門天皇
- 東山天皇の第五皇子。母は内大臣 櫛笥 隆賀の女で東山典侍・ 櫛笥 賀子(新崇賢門院)。 追号の「中御門」は、平安京大内裏の門の一つである待賢門の別称に因む(ただし、中御門天皇が誕生した1702年時点で、待賢門を含めて平安京大内裏は既に荒廃している)。 東山天皇には 櫛笥
- 立本寺
- 路(京都市上京区)に妙顕寺を創建。暦応4年(1341年)、四条 櫛笥 (下京区四条大宮付近)に寺地を移した。妙顕寺は嘉慶元年(1387年)山門(延暦 寺 )により破却されるが、明徳4年(1393年)、三条坊門堀川(二条城南東付近)に再興され、 寺 号を妙本寺と改めた。 応永20年(1413年)、妙本寺は再度山
- 松平家信
- 五男:松平信忠 六男:松平信昌 女子:石川正重室 女子:松平広永室 女子:松平康比室 女子: 櫛笥 隆朝室 女子:和田重富室 女子:井伊直好継室 男子:晃玄 家督は次男・康信が継ぐ。四男・氏信は旗本となった。康信の妹はそれぞれ 櫛笥 隆朝の室、井伊直好の継室となった。 ^ 小川雄「戦国・豊臣大名徳川氏と形原松平氏」戦国史研究会
- 光子内親王
- 享保12年10月6日(1727年11月18日))は江戸時代初期の皇族。後水尾天皇の第八皇女。林丘 寺 開基。号は照山元瑶。元瑶内親王、林丘 寺 宮と表記されることもある。 後に光子内親王となる朱宮は後水尾天皇と女官 櫛笥 隆子の皇女として、異母姉明正天皇の御世に生まれる。後西天皇をはじめとした七人の同母兄弟がおり
- 後水尾天皇
- 第十一皇女:宗澄女王(1639年 - 1678年) - 霊鑑寺宮門跡 第十三皇女:桂宮(1641年 - 1644年) 典侍: 櫛笥 隆子(逢春門院)(1604年 - 1685年) 第五皇女:理昌女王(1631年 - 1656年) - 宝鏡 寺 宮門跡 第五皇子:某(1633年) 第八皇女:光子内親王(1634年 - 1727年) 第八皇子:良仁親王(後西天皇)(1637年
- 福岡市美術館
- 紙本墨画五祖荷鋤図 樵隠悟逸賛 銅造菩薩半跏像 猿投灰釉壺(さなげかいゆうつぼ) 色絵吉野山図茶壺 仁清作 五彩魚藻文壺 大明嘉靖年製 黒漆平文唐 櫛笥 (くろうるしひょうもん からくしげ)(附 黒漆平文台) 線刻十一面観音鏡像 長承三年銘 太刀 銘一(松代藩主真田家伝来) 童鎧残欠 胸板・胴正面一、栴檀板一、鳩尾板一
- 閑院宮直仁親王
- 京に移ってからは宮内省京都支庁・厚生省管理事務所などを経て近年は環境庁京都御苑管理事務所として利用されていた。 東山天皇の第六皇子。母は内大臣従一位 櫛笥 隆賀の女の賀子(新崇賢門院)。中御門天皇の同母弟。御息所は関白近衛基熙の女の脩子(八百君)。光格天皇の祖父。 妃:近衛脩子(八百君) 第一王女:始宮
- 櫛笥通
- 櫛笥 通(くしげどおり)は、京都市の南北の通りの一つ。北は松原通から、南は十条通まで至る。途中、木津屋橋通-九条通の間が梅小路公園、東海道本線、東寺などによって中断する。 平安京の 櫛笥 小路に相当する通りである。全長約1.8キロ。 通りの名は、平安時代この地に「 櫛笥
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