青龍寺
基本情報
- 所在地
- 〒605-0824
京都府京都市東山区下河原通八坂鳥居前下る3丁目南町411
- TEL / FAX
-
075-561-7216
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
- 最寄り駅
- 京阪本線 祇園四条 850m
- 阪急京都本線 河原町 1050m
- 京阪本線 清水五条 1070m
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- 青龍寺
- 青龍寺 (せいりゅうじ、しょうりゅうじ) 仏教の寺院であり、各地に存在する。 中華人民共和国の陝西省西安市にある、真言密教の恵果・空海師弟ゆかりの寺。 青龍寺 (西安市)を参照。 青森県青森市にある高野山真言宗青森別院。東北三十六不動尊霊場の第18番札所 。 青龍寺 (青森市)を参照。 山形県鶴岡市にある真言宗豊山派の寺院。青龍寺
- 青龍寺 (土佐市)
- 青龍寺 (しょうりゅうじ)は、高知県土佐市宇佐町にある真言宗豊山派の寺院。独鈷山(とっこうざん)、伊舎那院(いしゃないん)と号す。本尊は波切不動明王。四国八十八箇所第三十六番札所。竜のお不動さんの愛称がある。 本尊真言:のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん
- 恵果
- 超から『大日経』系と『蘇悉地経』系の密教を学んだ。『金剛頂経』・『大日経』の両系統の密教を統合した第一人者で、両部曼荼羅の中国的改変も行った。長安 青龍寺 に住して東アジアの様々な地域から集まった弟子に法を授けた。また、不空に七歳のときその才覚を見出された恵果は育てられ、十五歳のときには霊能力を得るに
- 青龍寺 (西安市)
- 青龍寺 (せいりゅうじ)は、中華人民共和国陝西省の古都、西安市南郊の雁塔区大雁塔街道鉄炉廟村にある仏教寺院であり、弘法大師空海ゆかりの寺として知られている。 その故地は、唐の都、長安城においては、左街の新昌坊に当たる場所であった。 創建は、隋の開皇2年(582年)であり、当初は霊感寺と呼ばれた。初唐
- 朝青龍明徳
- 貴乃花および白鵬とともに「平成の大横綱」と呼ばれている。 四股名は高校在学時に世話になったという高知県土佐市の 青龍寺 に由来して名づけられた。また「明徳」という名は出身校の明徳義塾高等学校にちなんで名づけられた。師匠の高砂には「一番手こずらされた弟子」と評され、「
- 青龍寺 (青森市)
- 青龍寺 (せいりゅうじ)は、青森県青森市にある高野山の青森別院。 青銅坐像では日本一の大日如来像(昭和大仏、21.35m)や宮大工の大室勝四郎が手掛けた、青森ひば造りの五重塔(高さ39m、日本第4位)などがある。 青龍寺 境内には昭和大仏(しょうわだいぶつ)がある。1984年(昭和59年)9月30日に
- 青龍寺 (大津市坂本)
- 青龍寺 (せいりゅうじ)は、滋賀県大津市の郊外、比叡山西塔北の谷にある寺院(所在地については後述)。黒谷 青龍寺 ともいう。法然上人二十五霊場の特別霊場。大黒天出現の地という伝承から、大黒天を安置し、大黒谷と呼ばれていたのが黒谷となったという。京都の金戒光明寺の地を黒谷というようになったことから、元黒谷と
- 愛宕 (東京都港区)
- 普賢院・金剛院、愛宕山参道を跨いで円福寺・吟窓(宗)院・考寿(光樹)院・伝叟(宗)院・清岸院と微小な寺院が櫛比し、そして青松寺・ 青龍寺 と続いた。この内真福寺・青松寺・ 青龍寺 は現存し、考寿院・清岸院・伝叟院は愛宕内で移転存続している。また、表通りを愛宕下広小路、北の通りを鎧小路、南の通りを切通と呼んだ。
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- 青龍寺 (しょうりゅうじ)は、山形県鶴岡市 青龍寺 にある、真言宗豊山派の寺である。 青龍寺 は、鶴岡市街地の南東郊の金峯山の山麓に位置する。もとは修験道の道場であった。金峯山頂にある金峯神社の別当寺であり、近世以前、神仏習合の時代には金峯神社と一体であった。 江戸時代中期には、庄内三十三観音霊場 第三十三番札所となる。
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- 瑠璃堂(重要文化財) - 西塔地区から黒谷 青龍寺 へ行く途中に位置するが、現在は道路の崩壊により瑠璃堂で行き止まりとなっている。信長の焼き討ちをまぬがれた唯一の堂といわれる。様式上、室町時代の建築である。延暦寺では珍しく禅宗様(唐様)で建てられている。 黒谷 青龍寺 - 西塔地区から1
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