上徳寺
基本情報
- 所在地
- 〒600-8119
京都府京都市下京区本塩竈町577
- TEL / FAX
-
075-351-4360
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
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- 京阪本線 清水五条 360m
- 京都市烏丸線 五条 450m
- 京阪本線 七条 670m
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- 上徳寺
- 上徳寺 (じょうとくじ)は、京都市下京区本塩竈町にある浄土宗の寺院。山号は塩竈山(えんそうざん)。本尊は阿弥陀如来。通称の世継地蔵(よつぎじぞう)で知られる。 慶長8年(1603年)に徳川家康の側室阿茶局が、家康の娘・泰誉院とその母・ 上徳 院の菩提を弔うために、阿茶局の叔父である伝誉一阿を開山として建立
- 下京区
- 東西:四条通、五条通、七条通、塩小路通 南北:西大路通、千本通、大宮通、堀川通、烏丸通、河原町通 主な寺院 興正寺 金光寺(市屋道場) 金光寺(七条道場) 西蓮寺 勝光寺 荘厳寺 上徳寺 (世継地蔵) 常楽寺 瑞雲院 - 血天井で有名 長圓寺 - 洛陽三十三所観音霊場 長講堂 西本願寺(本願寺) - 世界文化遺産 東本願寺(真宗本廟)
- 富小路通
- の五条通以南にも、寺町通や寺之内通と同様に、寺院が集中して移転されたため、下寺町(しもでらまち)という別称も存在する。 渉成園 長講堂 新善光寺 上徳寺 金光寺 市比売神社 日本キリスト教団京都教会 救世軍京都小隊(教会) 京都地方裁判所 錦市場 京都市内の通り 寺町通 寺之内 裏寺町通 表示 編集
- 雲光院
- 寛永7年(1630年)の秀忠・家光上洛時に供奉する。 寛永14年(1637年)1月22日、死去。83歳。墓所は雲光院(東京都江東区三好)と 上徳寺 (京都市下京区)。法号は雲光院殿従一位尼公松誉周栄大姉(『江東区史』では、雲光院殿一位尼公正誉周栄大姉)。 祖父:飯田筑後守 父:飯田直政(久左衛門)
- 源融
- 融の邸宅のあった辺りは現在の京都市下京区本塩竈町および塩竈町周辺であるとされ、付近には「塩竈山(えんそうざん)」の山号を持つ 上徳寺 がある。また融の死後、河原院は息子の昇が相続、さらに宇多上皇に献上されており、上皇の滞在中に融の亡霊が現れたという伝説が『今昔物語集』『江談抄』等
- 常徳寺
- 常徳院 浄 徳寺 、浄徳院、浄得寺、得浄明院 定 徳寺 、定得寺 成 徳寺 、城 徳寺 、誠 徳寺 、 上徳寺 聖 徳寺 、聖得寺 正 徳寺 、正得寺、正徳院、正得院 祥 徳寺 、証 徳寺 、証得寺、 徳証寺、徳性寺、得性寺 徳賞寺、得勝寺、得照寺 徳正寺、得正寺 [脚注の使い方] ^ 日蓮宗千葉西部宗務所 ^ “安楽山 常 徳寺 ”. 日蓮宗
- 堀内雲鼓
- 、吉井雲鈴、居初雲峯などがいる。編著に、俳書として「やとりの松」「しか聞」、雑俳書として「夏木立」などがある。 享保13年、64歳で死去。下京区の 上徳寺 に葬られた。 [脚注の使い方] ^ 「雲鼓の俗名など」19頁 ^ a b c d e 『講談社日本人名大辞典』1695頁 ^ a b c d 『京都大事典』836頁
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- 川勝雲堂
- ^ 俳句から派生した短文詩で、5文字の題目と12文字の対句の掛け合いで表現されるもの。 ^ 貞門派俳諧師(1728年没)。京都の 上徳寺 に「日のめぐみ うれしからずや 夏木立」(雲鼓作)の句碑がある。 『俳諧人物便覧』 三浦若海著、加藤貞彦編、ゆまに書房、1999年6月 ISBN 4-89714-729-8
- 泰栄院
- や山崩れなどの度重なる災害に遭ったため、泰栄院の墓を特定することが出来なくなっている。 現在は同じく家康の側室である雲光院が開基した京都府京都市の 上徳寺 に供養塔が残る。同寺には泰栄院と雲光院の墓碑が並んで建立されているが、これは2人の実父が共に武田家の旧臣であった関係によるものと考えられる。 ^
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