恵運寺
基本情報
- 所在地
- 〒640-8137
和歌山県和歌山市吹上3丁目1-66
- TEL / FAX
-
073-424-7633
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
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- 恵運寺
- 恵運寺 (えうんじ、えいうんじ)は、和歌山県和歌山市吹上にある曹洞宗の寺院。山本勘助縁の山本家による創建。開運祈願の 寺 としても知られる。 元和5年(1619年)、紀州藩初代藩主徳川頼宣が紀州に入封した際、家臣で参州室城(牟呂城)城主であった山本図書正春も随従。正春は、武功の誉れ高き顕祖長昌公のために禅
- 丈六寺
- 寺 、久鳳 寺 に住持。 十九世:無外養仙(1760年住持、1790年示寂)兵庫県宗堅 寺 、牟岐町昌寿 寺 を開山。 二十世:末証掾宗(1780年住持、1782年示寂)和歌山県 恵運寺 、大匠 寺 、本覚寺に住持。 二十一世:開運養天(1783年住持、1796年示寂)高松寺、方円 寺 に住持。
- 恵運
- 恵運 (えうん、延暦17年(798年)- 貞観11年9月23日(869年10月31日))は、平安時代前期の真言宗の僧。俗姓は安曇氏。山城国の出身。入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・ 恵運 ・円珍・宗叡)の一人。慧 運 とも書く。 初め東大寺泰基・薬師寺仲継に法相教学を学んだが、受戒後の824年(天長元
- 名取正澄
- 後、名取流は世襲されたが、紀州藩では宇佐美家が越後流を唱え、名取流は忍びが中心となった。 2012年(平成24年)4月に和歌山県和歌山市吹上にある 恵運寺 で墓石、位牌、過去帳記載などが発見された。 承応3年5月 新規召出 中小姓 万治3年5月 大小姓 切米30石 延宝7年9月1日 御近習 貞享2年8月23日
- 恵運院 (甲府市)
- 恵運 院(えうんいん)は、山梨県甲府市にある曹洞宗の寺院。 創建年代は不明である。当初は真言宗の寺院であったが、戦国時代中期に甲斐国の戦国大名武田信縄によって中興され、自分の菩提寺とした。 信縄の子の信虎は、現在の長野県東御市にある定津院から雪田宗岳を招聘して住職にし、寺領を寄進している。当院には武田
- 実恵
- 恵運 が記した「安祥 寺 伽藍縁起資財帳」(平安遺文1-164)に「東大寺泰基」とあるほか、『高野雑筆集』所収の「両相公」宛書簡に「東大杲隣・実 恵 」とあり、実 恵 が東大寺を本寺としていたことが明らかなので、東大寺が正しい。 ^ 入滅の日について、他に12月12日、10月など諸説ある。国史に実 恵
- 円珍
- 恵運 、円珍、宗叡)の一人。 弘仁5年(814年)、讃岐国(香川県)金倉郷に誕生。多度郡弘田郷の豪族佐伯氏の一門のひとり。俗姓は和気。字は遠塵。空海(弘法大師)の甥(もしくは姪の息子)にあたる。生誕地は善通寺から4kmほどのところ。幼少から経典になじみ、15歳(数え年、以下同)で比叡山に登り、延暦 寺 の義真に師事、12年間の籠山行に入る。
- 安祥寺 (京都市)
- 恵運 に帰依した五条后によって「下 寺 」が建立されたという説が有力である。 恵運 が貞観9年(867年)に作成した「安祥 寺 伽藍縁起資財帳」(現在は東寺蔵)によると、上 寺 には礼仏堂と五大堂とから成る堂院・東西僧房・庫裏・浴堂などの施設が、下 寺 には約2万平方メートルの 寺
- 円仁
- 貞観6年1月14日(864年2月24日)、旧字体:圓仁)は、第3代天台座主。慈覚大師(じかくだいし)ともいう。入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・ 恵運 ・円珍・宗叡)の一人。下野国の生まれで出自は壬生氏。 794年(延暦13年)、下野国都賀郡または安蘇郡に豪族壬生氏の子として生まれる。 出生地については諸説あり、
- 虚空蔵菩薩
- 五大虚空蔵菩薩の彫像の作例としては、京都・神護 寺 多宝塔安置の像(平安初期・国宝)で、5体揃ったものでは最古と言われる。また、京都・東寺観智院安置の五大虚空蔵菩薩像(重文)は、空海の孫弟子にあたる 恵運 が唐から招来した像で、元は山科(京都市山科区)の安祥 寺 にあったものである。法界の像は馬、金剛は獅子、
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