本願寺近松別院
基本情報
- 所在地
- 〒520-0045
滋賀県大津市札の辻4-26
- TEL / FAX
-
077-526-4959
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
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- 本願寺近松別院
- 本願寺近松別院 (ほんがんじちかまつべついん)は、滋賀県大津市にある浄土真宗 本願寺 派の直属寺院。 住職は浄土真宗 本願寺 派門主が兼ねるが、 別院 輪番が置かれて実務を主管している。 近松別院 は大津市中心部にある 本願寺 派の 別院 であり、 本願寺 の歴史の中でも重要な役割を果たした寺院の一つである。県庁所在地ではあ
- 浄土真宗本願寺派
- 本願寺 」と改称(前述)したため、 別院 ではなくなっている。 三条 別院 - 新潟県三条市、現在は与板 別院 と統合して 本願寺 新潟 別院 となる。建物は残っておらず、塀と掘られた看板のみ残る。 与板 別院 - 現在、三条 別院 と統合し新潟 別院 に改称。 角坊 別院 - 京都市右京区山ノ内御堂殿町25、 本願寺
- 蓮如
- 年(1469年)、延暦寺と敵対している園城寺の庇護を受け、園城寺子院の万徳院住持で叔父の長命阿闍梨の斡旋もあり、別所 近松 寺の敷地の一部を譲り受けて大津南別所に顕証寺(後の 本願寺近松別院 )となる堂を建立、順如を住持として祖像を同寺に置く。文明2年(1470年)12月5日、第二夫人蓮祐尼が死去する。
- 顕証寺 (八尾市)
- 文明元年(1469年)に 本願寺 8世の蓮如は、近江国 近松 (現・滋賀県大津市札の辻)に顕証寺を創建し、初めは長男の順如、その死後は六男の蓮淳に住持させた。これは後に 本願寺近松別院 となり、寺号は後に「久宝寺御坊顕証寺」たる当寺に引き継がれた。そのため、戦前まで 近松別院 は当寺がその法要を勤めていた。
- 顕証寺
- 滋賀県大津市にある浄土真宗 本願寺 派の寺院 → 本願寺近松別院 顕証寺 (八尾市) - 大阪府八尾市にある浄土真宗 本願寺 派の寺院(久宝寺御坊) 顕証寺 (大阪府河南町) - 大阪府南河内郡河南町にある浄土真宗 本願寺 派の寺院(大ケ塚御坊) 顕証寺 (姫路市) - 兵庫県姫路市にある浄土真宗 本願寺 派の寺院 顕證寺
- 本福寺 (大津市)
- 焼き払われた。第4世明顕と弟子明宗は蓮如・実如の元で 本願寺 と浄土真宗の発展に尽くすと共に、堅田を中心とした近江国の 本願寺 派門徒及び一向一揆の中核を担う存在となった。 ところが、実如の弟蓮淳(蓮如の六男・証如の外祖父)が大津顕証寺(後の 本願寺近松別院 )に入ると、勢力圏が重なる本福寺の存在に脅威を感じる
- 光善寺 (枚方市)
- 坊の建立に伴って周辺には多くの門徒が移り住み寺内町が形成された。 文明10年(1478年)、蓮如が山科 本願寺 の建立のため山科に移る際に長男の順如を住職に指名。順如は大津の顕証寺(現・ 本願寺近松別院 )から当寺に移り住んで2世住職となった。また、蓮如は出口御坊を近畿一円の御坊の筆頭格とした。
- 明宗 (僧)
- 川政元暗殺事件から発生した永正の錯乱で山科 本願寺 から疎開した第9世法主実如を大津で迎え、船で堅田まで送り出して永正6年(1509年)の 本願寺 帰還まで実如を本福寺に泊めた。同年、明顕の死により本福寺を継承した。 実如の弟の蓮淳が近江顕証寺(後の 本願寺近松別院 )の住持になると、永正15年(1518年)
- 近松寺
- 応仁3年(1469年)には延暦寺に弾圧された浄土真宗 本願寺 派の蓮如を園城寺が保護し、南院の万徳院の斡旋もあり、 近松 寺の敷地の一部を譲っている。蓮如はそこに後に 近松別院 となる堂を建立している。 安土桃山時代の文禄4年(1595年)、園城寺が豊臣秀吉の怒りに触れて寺領を没収されて廃寺となった際に 近松
- 実恵 (浄土真宗)
- 父は 本願寺 8世・蓮如の6男で歴代法主を支えて畿内の門徒を統括した。父が伊勢長島に願証寺を創建したが、拠点を近江光応寺( 近松別院 )に置いたため、事実上、実恵が初代の住持であった。 永正16年(1519年)、蓮如の子である 本願寺
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