元興寺
基本情報
- 所在地
- 〒630-8392
奈良県奈良市中院町11
- TEL / FAX
-
0742-23-1377
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
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- JR大和路線 奈良 1180m
- JR奈良線 奈良 1180m
- JR桜井線 奈良 1180m
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- 元興寺
- 興寺 は養老2年(718年)平城京へ移転したが、飛鳥の法 興寺 も廃止はされずに元の場所に残った。通常、飛鳥にある寺を「法 興寺 」「本 元興寺 」、平城京の方の寺を「 元興寺 (新 元興寺 )」と称している。「法興」も「 元興 」も、日本で最初に仏法が興隆した寺院であるとの意である。 奈良時代の 元興寺
- 飛鳥寺
- 興寺 (仏法が興隆する寺の意)の後身である。思惟殿は新西国三十三箇所第9番札所で本尊は聖観音である。 飛鳥寺には複数の呼称がある。法号は「法 興寺 」または「 元興寺 」(がんごうじ)であり、平城遷都とともに今の奈良市に移った寺は「 元興寺 」と称する。一方、蘇我馬子が建立した法 興寺
- 元興寺 (妖怪)
- 元興寺 (がごぜ、がごじ、ぐわごぜ、がんごう、がんご)または 元興寺 の鬼(がんごうじのおに)は、飛鳥時代に奈良県の 元興寺 に現れたといわれる妖怪。平安時代の『日本霊異記』(「雷の憙を得て生ま令めし子の強き力在る縁」)・『本朝文粋』などの文献に話がみられ、鳥山石燕の「画図百鬼夜行」などの古典の妖怪画では、僧の姿をした鬼の姿で描かれている。
- 寄棟造
- 紫禁城太和殿 祾恩殿 正倉院(奈良県) 唐招提寺金堂(同上) 東大寺大仏殿(同上) 元興寺 極楽坊本堂 (同上) 當麻寺本堂 (同上) 小諸城三の門(長野県小諸市) 大宝寺 (松山市)本堂 (愛媛県) 正倉院 東大寺大仏殿 元興寺 極楽坊本堂 小諸城三の門 唐招提寺金堂 [脚注の使い方] ^ 今和次郎『改稿 日本の民家』相模書房、1943年、P
- 法相宗
- 653年(白雉4年) 道昭が入唐留学して玄奘に師事し、帰国後飛鳥法 興寺 でこれを広めた。 658年(斉明天皇4年) 入唐した智通・智達等も法相宗を広めた。これらは同系統に属し、平城右京に 元興寺 が創建されると法相宗も移り、 元興寺 伝、南伝といわれた。 703年(大宝3年) 智鳳、智雄らが入唐した。 717年(養老元年)
- 元興寺町
- 日本 > 奈良県 > 奈良市 > 元興寺 町 元興寺 町(がんごうじちょう、Gangōji-chō)は、奈良県奈良市の中央部、市街地の中央部に位置する地区である。郵便番号は630-8332。 奈良市の中央部、市街地の中央部に位置している地区である。 もと 元興寺 の南大門、花園院のあったところといわれており、現在は住宅地となっている。
- ならまち
- アからなる。奈良市では、「奈良町」と「ならまち」とを使い分けている。「ならまち」は、「奈良町」のうち国道369号よりも南の区域を指す。 このうち、 元興寺 の旧境内を中心とする49.3ヘクタールが、奈良市により奈良町都市景観形成地区に指定されている。 この地域には発掘作業により古墳も見つかっているが、
- 真言律宗
- 興寺 (大阪府八尾市)、久修園院(大阪府枚方市)、国分寺(愛媛県今治市)、法華寺(今治市)、蓮華院誕生寺(熊本県玉名市) 由緒寺 - 極楽寺(神奈川県鎌倉市)、放生院(京都府宇治市)、岩船寺(京都府木津川市)、浄瑠璃寺(木津川市)、海龍王寺(奈良市)、不退寺(奈良市)、般若寺(奈良市)、 元興寺
- 三論宗
- 元興寺 流。 智蔵(慧灌の弟子、呉出身)が入唐して伝えた法隆寺の空宗。 718年(養老2年)、道慈(智蔵の弟子)が伝えた大安寺流。 元興寺 ・大安寺の2流は、日本三論の2流と称し、奈良時代には南都六宗の1つとして栄えた。 三論宗の中興の祖とされる聖宝(832年 - 909年)は、 元興寺 流の出身である。
- 尾張国
- 『日本紀略』元慶8年(884年)8月26日条では、尾張国分寺が焼失し、その機能を愛智郡定額寺の願 興寺 (現・名古屋市中区の尾張 元興寺 跡か)に移したと見える。発掘調査においても、この焼失後の存続は認められていない。 尾張国分寺跡 真清田神社 (尾張一宮) 大縣神社 (尾張二宮)
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