興福寺 / 本坊
基本情報
- 所在地
- 〒630-8213
奈良県奈良市登大路町48
- TEL / FAX
-
0742-22-7755
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- 法人番号
- 7150005000123
- コメント
- 最寄り駅
- 近鉄奈良線 近鉄奈良 430m
- JR桜井線 奈良 1300m
- JR大和路線 奈良 1300m
- JR奈良線 奈良 1300m
- JR桜井線 京終 1550m
- 周辺情報
- 興福寺国宝館 その他文化施設
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- 興福寺
- 興福寺 (こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある法相宗の大本山の寺院。山号はなし。本尊は中金堂の釈迦如来。南都七大寺の一つ。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。
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- 阿修羅
- )や三面二臂(三つの顔に二つの腕)の阿修羅像も存在する。阿修羅像は奈良県・ 興福寺 の八部衆像・阿修羅像(国宝)やなどがある。 奈良県・法隆寺阿修羅像(八部衆の一)-日本で現存する最古の阿修羅像。西暦711年頃。 奈良県・ 興福寺 阿修羅像(八部衆の一)-日本の阿修羅像を代表する像の1つ。
- 法相宗
- 入唐した義淵の弟子玄昉も、ともに濮陽の智周に師事して法相を修め、帰国後これを広めた。なかでも玄昉は 興福寺 にあって当宗を興隆し、 興福寺 法相宗の基をきずき、 興福寺 伝または北伝といわれる。 8世紀から9世紀にかけて法相宗は隆盛を極め、多くの学僧が輩出した。ことに 興福寺 では賢憬、修円、徳一などが傑出し、修円は同寺内に伝法院を創建、その一
- 春日大社
- 興福寺 がその代わりを行っていた。 興福寺 は大和国の国人を 興福寺 に属する衆徒と春日社に属する国民として統制し、全国にある広大な荘園から収入を得てその勢力を誇った。しかし、戦国時代になると全国の荘園は各地の武将に横領されて収入は激減し、 興福寺 衆徒であった筒井順慶などが織田信長の家臣となるなどし、 興福寺
- 八角堂
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- 興福寺 (長崎市)
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- 吉野の龍門寺は、龍蓋寺(=岡寺)とともに、 興福寺 の僧が二寺の別当を兼務し、 興福寺 の末寺となっていた。その後、 興福寺 別当が龍門寺別当をも兼務することになり、龍門寺周辺は 興福寺 の寺領となっている。 金峯山検校職には 興福寺 関係の僧侶が入り、金峯山寺はその傘下に入ったが、完全な支配下に入ったわけではなく、時折、金峯山寺と 興福寺
- 別当
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