長者山新羅神社
基本情報
- 所在地
- 〒031-0021
青森県八戸市長者1丁目6-10
- TEL / FAX
-
0178-22-1769
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 神社
- コメント
- 最寄り駅
- JR八戸線 本八戸 1460m
- JR八戸線 小中野 2300m
- JR八戸線 長苗代 2980m
- 周辺情報
- 新羅神社 神社(増強用)
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- 長者山新羅神社
- 長者山新羅神社 (ちょうじゃさんしんらじんじゃ)は、青森県八戸市の 長者山 山上にある 神社 。社格は旧県社。重要無形民俗文化財の八戸三社大祭や八戸のえんぶりで著名であり、八戸市内では櫛引八幡宮と並び篤く崇敬を集める 神社 である。 主祭神 素佐嗚尊(すさのおのみこと) 新羅 三郎源義光命(しんらさぶろうみなもとのよしみつのみこと)
- 源義光
- 祭神の 神社 平塚 神社 長者山新羅神社 三八城 神社 新羅神社 (祇園) - 広島県広島市安佐南区 諏訪 神社 - 山梨県北杜市 縁の 神社 新羅 善神堂 石清水八幡宮 若宮八幡宮 (常陸太田市) 櫛引八幡宮 大鷲 神社 _(足立区) 八雲 神社 (鎌倉市) - 源義光が勧進。神奈川県鎌倉市 石橋八幡 神社 - 源義光が勧進。山梨県笛吹市
- 八戸三社大祭
- 神社 の 神社 行列に加え、明治期になって衰退していた大祭の再興を目的とし、大澤多門の発案により参加した 長者山新羅神社 、神明宮の各 神社 行列、それに附祭として合計27台の豪華絢爛で巨大な山車が市内中心部を運行する形となっている。 龗 神社 の例祭に 新羅神社 と神明宮が参加してからは、中日例大祭に 長者山 で龗 神社
- 長者 (八戸市)
- 地内は藩政時代からの 神社 仏閣が多くあり、 長者山 を中心に 長者山新羅神社 (祇園、虚空蔵堂、三社堂)、福聚山大慈寺(曹洞宗)、石田山光龍寺(曹洞宗)、月渓山南宗寺(妙心寺派)、臥龍山禅源寺(妙心寺派)、八坂 神社 ( 長者山 牛頭天王、天王堂)が鎮座する。地内の西端には青森県立八戸高等学校が立地する。
- 打毬
- 、打毬杖(だきゅうづえ。毬杖)をふるって庭にある毬を自分の組の毬門に早く入れることを競う。現在は、宮内庁と青森県八戸市の 長者山新羅神社 、山形県山形市の豊烈 神社 にのみ伝承され、両 神社 では騎馬ではない「徒打毬(かちだきゅう)」も行われる。 紀元前6世紀のペルシャ(現在のイラン)を起源とし、日本には渤海使
- 長者山
- 長者山 は松林が生い茂っており、社寺独特の雰囲気を醸し出している。片町朝市の会場は長根公園に引き継がれている。 八戸三社大祭では神明宮の天照大神・龗 神社 の高龗神・ 長者山新羅神社 の 新羅 三郎義光を奉斎しているため、神明宮の天照大神・龗 神社 の月読・ 長者山新羅神社
- えんぶり
- 祝芸能の一種である。八戸市における保護団体は八戸地方えんぶり連合協議会。 毎年2月17日の早朝に30組を越える「朳(えんぶり)組」が八戸市 長者山 の 長者山新羅神社 に奉納した後に同市の中心街で一斉摺りを行い、その後更に八戸市近郊を門付けして巡り、20日までの4日間に亘って同市内の各所で演じられる。現在
- 八戸町
- 八戸水力電気による八戸町-小中野町間の路面電車(実現に至らず) 新開座 - 八戸町鍛冶町にあった映画館 錦座 - 廿八日町にあった劇場 於多福座 - 大澤多門が創立。現在の 長者山新羅神社 付近にあった。 『明治・大正の八戸市街図と三戸郡誌』八戸市、2002 『はちのへ市史研究第2号』八戸市、2004 『新編八戸市史 近現代資料編1』八戸市、2007
- 馬場
- 長者山新羅神社 では社殿再改築の時に桜の馬場を開設し、例祭に打毬を奉納するようになった。 神明天祖 神社 の東側一帯は、昔周囲に桜の木を植えた馬場があって「桜の馬場」と呼ばれていた。 富士山本宮浅間大社楼門前には、東西へ伸びる「桜の馬場」があり、神事流鏑馬式などに用いられる。 石岡 神社
- 大澤多門
- 物乞いに似た行為」として当時の県より一時禁止令が発せられた。しかし明治14年(1881年)、 長者山新羅神社 にある稲荷 神社 の例大祭として御輿行列を仕立てて復興した。 また明治29年(1896年)、 長者山新羅神社 と神明宮に神輿を寄付し、八戸三社大祭において町内ごとの山車製作を考案した。
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