蚕養国神社
基本情報
- 所在地
- 〒965-0023
福島県会津若松市蚕養町2-1
- TEL / FAX
-
0242-37-3166 / 0242-37-3175
- e-MAIL
- URL
- http://www13.plala.or.jp/kogaikunijinja/
- 業種
- 神社
- コメント
- 稚産霊大神・保食大神・天照大御神の三神をまつる御社です。
- 最寄り駅
- JR只見線 会津若松 930m
- JR磐越西線 会津若松 930m
- JR只見線 七日町 1820m
- 会津鉄道会津線 西若松 3010m
- JR只見線 西若松 3010m
- 周辺情報
- 会津若松市立一箕小学校 小学
- 会津若松市立第一中学校 中学
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- 蚕養国神社
- 蝅養國 神社 (こがいくにじんじゃ、 蚕養国神社 )は、福島県会津若松市 蚕養 町にある 神社 。式内社で、旧社格は県社。別称として「蠶養宮」とも。神紋は「会津三ツ葵」。 養蚕に関する 神社 として知られる。 祭神は次の3柱。 保食大神 (うけもちのおおかみ) 稚産霊大神 (わくむすびのおおかみ) 天照大御神 (あまてらすおおみかみ)
- 会津若松市
- 阿弥陀寺 - 新撰組三番隊長 斎藤一の墓、御三階(鶴ヶ城本丸より移築) 興徳寺 - 蒲生氏郷の墓 八葉寺 延命寺地蔵堂(藤倉二階堂) 神明 神社 蚕養国神社 八角 神社 山鹿素行 (儒学者、軍学者) 西郷頼母 (幕末の会津藩家老) 秋月悌次郎 (幕末の会津藩士、教育者) 梶原平馬 (幕末の会津藩家老) 佐川官兵衛
- 蚕影神社
- 神社 が多数残っている。河川には鬼怒川(絹川、衣川)、小貝川(蚕飼川)、糸繰川などがある。日立市川尻町の 蚕養 神社 、神栖市日川の蚕霊 神社 には、蚕影 神社 と同様、養蚕伝来に関する伝承が伝わっている。また、結城市小森(旧下総 国 。小森は蚕守の変化とも)の大桑 神社
- 一箕村
- 八角分に加えて 蚕養 分の一部が八角村となったほか、 蚕養 分と上河原分のそれぞれ一部が上 蚕養 村となった。 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制が施行され、北会津郡八幡村、鶴賀村、亀賀村、松長村、八角村、上 蚕養 村および金堀村が合併し、 蚕養 村が成立した。 1891年(明治24年)2月13日 - 蚕養 村から一箕村に改称。
- 白虎通り
- ついて、特記がない場合は会津若松市道。交差する道路については、左側が下り線側、右側が上り線側。 東日本旅客鉄道 磐越西線、只見線 会津若松駅 蚕養国神社 飯盛山 ^ 会津若松市交通バリアフリー基本構想 ^ a b “市道路線網図をご利用ください。”. 会津若松市 (2015年1月5日). 2015年6月7日閲覧。
- 木嶋坐天照御魂神社
- 境内社として次の 神社 などが鎮座する。 蚕養 神社 (こがいじんじゃ) 祭神:保食神、蚕の神、木花咲耶姫命 由来は不詳。木嶋 神社 の通称「蚕の社」は、この 蚕養 神社 に由来する。 顕名 神社 (あきなじんじゃ) 祭神:三井高安(三井家遠祖) 稲荷 神社 稜道 神社 魂鎮 神社 三園稲荷 神社 八坂 神社 食 国神社 天満 神社 三拾八所 神社 白清神社
- 伊佐須美神社
- 延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では陸奥国会津郡に「伊佐須美 神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。この会津郡は大沼郡分置前の郡で、当時の会津地方は会津郡と耶麻郡の2郡から成っていた。2郡の式内社は伊佐須美 神社 ・ 蚕養国神社 (会津郡)、磐椅 神社 (耶麻郡)の3社で、それらのうち伊佐須美 神社
- 陸奥国の式内社一覧
- 陸奥 国 の式内社一覧(むつのくにのしきないしゃいちらん)は、『延喜式』第9巻・第10巻「神名帳上下」(延喜式神名帳)に記載のある 神社 、いわゆる「式内社」およびその論社のうち、陸奥 国 に分類されている 神社 の一覧。 また『延喜式』神名帳の編纂当時に存在したが同帳に記載の無い 神社 、いわゆる「式外社」についても付記する。
- 会津風土記
- 蚕養国神社 、磐椅 神社 が復興された。これらの 神社 の再興は、比定地と推定される地が『会津風土記』編纂のための調査の過程で発見されたことが契機で、本書に次いで編纂が開始された寺社改において、幕府により旧地と決定されたことによるものであった。のみならず、寛文12年(1672年)閏6月に制定された 神社
- 駅前町 (会津若松市)
- 蚕養 宮村と上河原分のそれぞれ一部が合併し、あとに駅前町の一部となる上 蚕養 村が成立した。1889年(明治22年)になると若松大町名子屋町は大町名子屋町となったほか、石堂村は周辺の村と合併して栄和村に、上 蚕養 村は周辺の村と合併して 蚕養
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