金剛頂寺
基本情報
- 所在地
- 〒259-1212
神奈川県平塚市岡崎3152
- TEL / FAX
-
0463-58-1557
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
- 最寄り駅
- 小田急小田原線 鶴巻温泉 2290m
- 小田急小田原線 伊勢原 2440m
- 小田急小田原線 東海大学前 2830m
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- 金剛頂寺
- 金剛頂寺 (こんごうちょうじ) 金剛頂寺 (平塚市) – 神奈川県平塚市岡崎にある東寺真言宗の寺院。如意山密嚴院。 金剛頂寺 (室戸市) – 四国八十八箇所霊場第二十六番札所。真言宗豊山派。龍頭山光明院。 金剛頂寺 (岡山県鏡野町) – 岡山県苫田郡鏡野町にある高野山真言宗の寺院。蕎麦尾山光明院。美作八十八ヵ所霊場
- 金剛頂寺 (室戸市)
- 金剛 定 寺 」と号し、女人禁制の寺院であったという。次の嵯峨天皇が「 金剛頂寺 」の勅額を下賜し、その 寺 名に改められた。『南路志』(江戸時代の土佐の地誌)所収の 寺 記によれば、大同元年、唐から帰国途次の空海が当地に立ち寄り創建したとされる。同 寺
- 四国八十八箇所
- 銅鐘(39番延光寺) 銅鐘(51番石手寺) 金銅五鈷鈴(71弥谷寺) 銅鐘(80番国分寺) 木造頓證 寺 勅額(81番白峯 寺 ) 梵鐘(84番屋島寺) 書籍典籍・古文書 大毘盧遮那経7巻・ 金剛頂 経3巻(26番 金剛頂寺 ) 善通寺伽藍並寺領絵図(75番善通寺) 国の登録有形文化財 [5番地蔵寺] 本堂 不動堂 大師堂
- 神峯寺
- 金剛頂寺 に預けられ、 金剛頂寺 で納経をしていたが、1887年(明治20年)もとの憎坊跡に堂舎を建立し本尊と札所を帰還させ再興した。1912年(大正元年)には茨城県稲敷郡朝日村の真言宗地蔵院の寺格を移した。そして、昭和に入って、それまでの神峯から神峯 寺 と称するようになった。
- 金剛智
- 金剛 智(こんごうち、梵: Vajrabodhi、671年 - 741年9月29日(開元29年8月15日))は、音訳では跋日羅菩提といい、中国密教の祖師であり、開元三大士の一人である。訳経僧でもある。主に『 金剛頂 経』系の密教を伝えた。真言八祖の中では、「付法の八祖」で第五祖、「伝持の八祖」では第三祖とする。
- 両界曼荼羅
- 金剛頂 経』は7世紀末から8世紀始めにかけてインドで成立したもので、『大日経』が訳されたのと同じ頃に、インド出身の僧である 金剛 智三蔵(671年 - 741年)と、弟子の不空三蔵(705年 -774年)によって漢訳されている。なお、日本密教の伝承によれば、『 金剛頂
- 真言宗
- 龍猛から密教を授かった(経文を右手に持っている)。 金剛 智三蔵 : インドで龍智から密教を学んだのち唐へ渡り、『 金剛頂 経』を伝える(数珠を右手に持っている)。 不空三蔵 : 西域生まれ。貿易商の叔父に連れられて唐へ行き、長安で 金剛 智に入門。『 金剛頂 経』を漢語に翻訳し、灌 頂 道場を開いた(外縛印(げばくいん)を結んでいる)。
- 空海
- 弘仁2年(811年)から弘仁3年(812年)にかけて、乙訓 寺 (京都府長岡京市)の別当を務めた。 弘仁3年11月15日、高雄山寺にて 金剛 界結縁灌 頂 を開壇した。さらに12月14日には胎蔵灌 頂 を開壇。入壇者は最澄やその弟子円澄、光定、泰範のほか190名にのぼった。
- 金剛力士
- 広隆寺(京都府京都市) 勝持寺(京都府京都市) 善峯 寺 (京都府京都市) 万寿寺(京都府京都市) 愛宕念仏 寺 (京都府京都市) 仁和寺 (京都府京都市) 円隆寺(京都府舞鶴市) 金剛 院(京都府舞鶴市) 多禰 寺 (京都府舞鶴市) - 山門の2躯は重要文化財 四天王寺(大阪府大阪市) 叡福 寺 (大阪府太子町) 東大寺(奈良県奈良市)
- 津照寺
- 室津 (0.5km) 四国八十八箇所 24 最御崎寺 -- (6.5km)-- 25 津照寺 -- (3.8km)-- 26 金剛頂寺 一木神社(いちきじんじゃ):当 寺 境内の西隣にある。寛永年間(1624~43)野中兼山が室津港を改修し寛文元年(1661)更なる改修を一木権兵衛に命じた。難工事を
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