氷川八幡神社・下新倉
基本情報
- 所在地
- 〒351-0111
埼玉県和光市下新倉3丁目13-33
- TEL / FAX
-
048-464-5376
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 神社
- コメント
- 最寄り駅
- 東京メトロ副都心線 和光市 1300m
- 東武東上本線 和光市 1300m
- 東京メトロ有楽町線 和光市 1300m
- 東武東上本線 成増 1440m
- 東京メトロ副都心線 地下鉄成増 1530m
- 東京メトロ有楽町線 地下鉄成増 1530m
- 周辺情報
- エネオス和光笹目通りTS エネオス
- 和光市立白子小学校 小学
- 笹目通り 道路名
- 坂下庭球場 テニスコート
- ドラッグセイムス白子店 ドラッグストア
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- 下新倉
- 埼玉県 > 和光市 > 下新倉 下新倉 (しもにいくら)は、埼玉県和光市の町名および大字。現行行政地名は 下新倉 一丁目から六丁目および大字 下新倉 。郵便番号は351-0111。 和光市の北東部に位置し、一部が東京都練馬区と隣接する。白子川が 下新倉 六丁目の都県境を流れる。また、 下新倉
- 新倉 (和光市)
- 大和町が市制施行に伴い名称変更、和光市となる。また、同日大字 新倉 の一部が本町の一部となる。 1971年(昭和46年)11月1日 - 大字 新倉 の一部から 新倉 一丁目・二丁目が成立。 2004年(平成16年)11月1日 - 大字 新倉 と大字 下新倉 の各一部と松ノ木島町から 新倉 三丁目〜八丁目が成立。( 新倉 7丁目が旧松ノ木島町。) 2016年(平成28年)2月1日
- 国際興業バス練馬営業所
- x日:池55(池袋駅東口 - 熊野 神社 - かみのね橋 - 羽沢 - 氷川 神社 下)を新設。 1973年10月1日:池55の発着地を 氷川 神社 下から豊玉北に変更。 1999年10月16日:池55の発着地を豊玉北から小茂根五丁目に変更。 当初は、上の根橋からそのまま環七通りを南下し羽沢から 氷川 神社 下(現: 氷川
- 美女木
- 下新倉 ・ 新倉 、西で戸田市内谷と隣接する。この西辺の戸田市内谷との境界付近の彩湖周辺で複雑な境界を持つ飛地群が形成されている。 美女木としては幸魂大橋東詰に内谷に囲まれた二つの飛地と、荒川と彩湖に囲まれた部分に北から南東にかけて内谷、南で和光市 新倉 、西で朝霞市下内間木と隣接する飛地を持つ。
- 氷川八幡神社 (和光市新倉)
- 氷川八幡神社 (ひかわはちまんじんじゃ)は、埼玉県和光市の 神社 。 弘安年間(1278年 - 1288年)に創建された。当地はかつては「 新倉 村」と呼ばれており、後に上下に分村した。「上 新倉 村」は現在の同市 新倉 であり、「 下新倉 村」は現在の同市 下新倉 である。 下新倉 にも同名の 神社 がある。満願寺が別当寺であった。
- 氷川八幡神社 (和光市下新倉)
- 新倉 村だったことから、「長久保 氷川 神社 」を分祠している。 下新倉 氷川八幡神社 富士塚(和光市指定文化財 令和5年9月21日指定) 和光市駅より徒歩23分。 [脚注の使い方] ^ a b c 埼玉県 神社 庁 神社 調査団 編『埼玉の 神社 北足立・児玉・南埼玉』埼玉県 神社 庁、1998年、552-553p
- 新編武蔵風土記稿
- 、1830年(文政13年)に完成した。全265巻。 地誌取調書上を各村に提出させたうえ、実地に出向いて調査した。調査内容は、自然、歴史、農地、産品、 神社 、寺院、名所、旧跡、人物、旧家、習俗など、土地・地域についての全ての事柄にわたる。新編とは、古風土記に対して新しいという意味で付けられている。 洋装活字本には、次の三つがある。一つに、
- 丸吉講
- 中野の丸吉講は、昭和43年(1968年)7月に先達榎木博ら総勢62人による「太々神楽奉納」の額が上紋司家に残されているが、これを最後に今は登山も絶えているという。 志木敷島 神社 の丸吉講は、富士太々講、扶桑教会志木駅社と名称を変えていったが、昭和16年(1941年)の3人の代参を以って終了とされている。 埼玉県新座市 『新座市史』
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