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金地院

基本情報

所在地
〒105-0011
東京都港区芝公園3丁目5-4
TEL / FAX
03-3431-1026
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業種
寺院
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金地院
金地院 (こんちいん)は、京都市左京区南禅寺福地町にある臨済宗南禅寺派の寺院。大本山南禅寺の塔頭。本尊は地蔵菩薩。江戸幕府の法律や外交を担った僧・以心崇伝が住したことで知られる。僧録司が置かれ、一塔頭寺院に留まらず江戸時代を通じて五山十刹以下全ての住職の任命権を持つ事実上の最高機関とされた。また10
以心崇伝
すうでん、永禄12年〈1569年〉- 寛永10年1月20日〈1633年2月28日〉)は、安土桃山時代から江戸時代の臨済宗の僧。字は以心、法名が崇伝で、南禅寺 金地院 に住したため、 金地院 崇伝(こんちいん すうでん)とも呼ばれる。本光国師の称は、寛永3年(1626年)に後水尾天皇の師となり授けられたもの。俗姓は一色氏。徳川
僧録
元和元年(1615年)、江戸幕府によって寺院諸法度が制定されると、僧録司・蔭涼職は一旦廃止された。 1619年、以心崇伝が僧録に任命され以後南禅寺 金地院 の住持が僧録を兼務するようになり、 金地 僧録(こんちそうろく)と呼ばれるようになった。 また、曹洞宗の関三刹のように、臨済宗以外にも僧録が置かれた宗派が存在する。 以下、主な歴代僧録司を記す。
日本の特別名勝一覧
五位山(ほうこんごういんせいじょのたき つけたり ごいさん) 天龍寺庭園(てんりゅうじていえん) 史跡との重複指定 二条城二之丸庭園(にじょうじょうにのまるていえん) 金地院 庭園(こんちいんていえん) 本願寺大書院庭園(ほんがんじだいしょいんていえん) 史跡との重複指定 西芳寺庭園(さいほうじていえん) 史跡との重複指定
金地院 (東京都港区)
金地院 (こんちいん)は、東京都港区にある臨済宗南禅寺派の寺院。 1619年(元和2年)に開山された。以心崇伝は南禅寺の僧侶で徳川家康の政治顧問を務めていた。そのため、江戸における拠点として与えられたのが当院の由来である。以心崇伝は京都では南禅寺塔頭の 金地院 を居所としており、江戸での居所も「 金地院
南禅寺
以心崇伝は徳川家康の側近として外交や寺社政策に携わり、「黒衣の宰相」と呼ばれた政治家でもあった。塔頭の 金地院 に住した崇伝は、江戸幕府から「僧録」という地位を与えられている。これは日本全国の臨済宗の寺院を統括する役職である。以後、 金地院 の住持は 金地 僧録と呼ばれ、絶大な権勢を誇った。慶長16年(1611年)には、豊臣秀吉が天正年間(1573年
称と法字による呼称は、禅宗の僧に関する限り並存することとなった。例えば「崇伝」という禅僧は、法字を用いて「以心崇伝」と呼ばれうるし、院号を用いて「 金地院 崇伝」とも呼ばれうる。 また、出家しても俗世の地位に留まっている人物は、俗人と同じく苗字を用い、名のみ法名を用いることがあったため、同様に苗字と法字の呼称が並存することになった。
宰相
満済准后: 足利義満・足利義持・足利義教の3代にわたる側近。 千利休: 豊臣秀吉の側近。 安国寺恵瓊: 豊臣秀吉の側近として都合6万石の大名にまで出世。 金地院 崇伝: 徳川家康の側近。 南光坊天海: 徳川家康の側近。 内閣総理大臣の通称のひとつ。特筆に値する功績や特異な事績があった総理を特にこう呼ぶことが多い。
東照宮
徳川家康を「東照大権現」として祀る神社である。 徳川家康は今際の際に 金地院 崇伝・南光坊天海・本多正純を呼び、次のように遺言した。 久能山に納め、御法會を江戸増上寺、靈牌は三州大樹寺、御周忌終て下野國日光山へ小堂を營造、京都には 金地院 に小堂をいとなみ所司代はじめ武家の輩進拜せしむべし。 — 徳川実紀(台徳院殿御実紀四十二巻)
枯山水
伸びる。背に須弥山を載せることを象徴して石を載せたりビャクシンを植えることがある。 金地院 庭園・芬陀院庭園など。 鶴島 - 神仙島を表現する。長い石を寝かせて鶴首石とし、羽石を配する。背には松を植えることもある。 金地院 庭園・西本願寺庭園・大仙院庭園・芬陀院庭園など。 三尊石組(圓徳院) 中央上部 七五三石組のうち五石(龍安寺)
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