心源院
基本情報
- 所在地
- 〒192-0154
東京都八王子市下恩方町1970
- TEL / FAX
-
042-651-3545
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
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- 心源院
- 心源院 (しんげんいん)は、東京都八王子市下恩方町にある曹洞宗の寺院。山号は深沢山。 滝山城主大石定久が開基したという。 甲州征伐時、甲斐国から逃れてきた信玄の娘・松姫(信松尼)がこの寺で出家した。 境内山門近くに、八王子千人同心の小谷田子寅の碑が立つ。 梵鐘の鐘には地元の詩人・中村雨紅直筆の歌詞が彫られている。
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- 牧野貞通
- 松平忠義(十三男) 牧野通英(十四男) 牧野通亮(十五男) 戸田光廩(十六男) 松平忠勧(十七男) 菊子、 心源院 - 奥平昌敦正室 千姫 - 松平直純正室 本多忠敝正室 松浦到正室 清操 院 - 稲葉泰通正室 八千子 - 牧野康満正室 牧野忠寛の養女 有馬広之室 『寛政重修諸家譜』
- 崇源院
- 源院 殿」に「そうげんゐんでん」と読み仮名がつけられているので、当時は「そうげんいん」と呼ばれていたと考えられる。平成22年(2010年)6月に祐天寺で徳川家康像が安置されていた宮殿(厨子)を修理のため解体したところ、柱に「寛永五年辰九月拾五日御建立宗 源院
- 池田喜生
- よししげ)は、江戸時代中期から後期にかけての旗本。官位は従五位下但馬守。 延享2年(1745年)、豊前国中津藩主・奥平昌敦の次男として誕生。幼名は保次郎。母は牧野貞通の娘・菊子( 心源院 )。奥平昌鹿の同母弟にあたる。 のちに播磨国福本藩(鳥取藩の支藩。実際には相続分与などの1万石割れのため、交代寄合)の4代当主池田喜以は庸熈を婿養
- 奥平昌敦
- 宝暦8年(1758年)9月26日に江戸で死去した。享年35。跡を長男の昌鹿が継いだ。 父:奥平昌成(1694-1746) 母:松嶺 院 - 沢渡氏 正室:菊子 - 心源院 、牧野貞通の娘 長男:奥平昌鹿(1744-1780) 次男:池田喜生(1745-1813) 生母不明の子女 三男:山野辺義風(1752-1791)
- 奥平昌鹿
- 安永9年(1780年)に死去し、跡を長男の昌男が継いだ。墓所は東京都品川の東海寺。 父:奥平昌敦(1724-1758) 母:菊子 - 心源院 、牧野貞通の娘 正室:阿部正允の娘 室:桜川萩野 長男:奥平昌男(1763-1786) 生母不明の子女 女子:高子 - 酒井忠進正室 女子:池田斉政婚約者
- 信松院
- 信松 院 (しんしょういん)は、東京都八王子市台町三丁目にある曹洞宗の寺院。山号は金龍山。開基は信松尼(武田信玄の四女・松姫)。開山は卜山舜越。八王子七福神の一つである布袋像を祀る。 1590年(天正18年)に信松尼(松姫)が 心源院 より八王子御所水(現・八王子市台町)の草庵に移転したのが創建とされる。
- 大徳寺
- 丈にて書画等を公開する曝涼展が行われる)。 塔頭のうち常時拝観可能なのは龍 源院 ・瑞峰 院 ・大仙 院 ・高桐 院 の4か 院 。黄梅 院 ・真珠庵・聚光 院 ・総見 院 ・芳春 院 ・興臨 院 ・孤篷庵などは秋などに期日を限って特別公開される場合がある。 龍光 院 は常時非公開。 JR京都駅より京都市営バスで約30分、「大徳寺前」(101・205・206号)下車。
- 信松尼
- 新御所で明智光秀を迎え討ち、自刃する(一部の史料には信忠の子・三法師の生母は実は松姫だったとするものもある)。 同年秋、22歳で後北条家庇護下にて 心源院 (現・八王子市下恩方町)に移り、出家して信松尼と称し、武田一族とともに信忠の冥福を祈ったという。 八王子では、この時期に信松尼は北条氏照の正室比左
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