耕雲院
基本情報
- 所在地
- 〒402-0035
山梨県都留市夏狩1884
- TEL / FAX
-
0554-43-2593
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
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- 耕雲本
- ポータル 文学 耕雲 本(こううんぼん)は、 耕雲 (花山院長親)が整えたとされる源氏物語の写本及びそれに由来する本文のことである。 耕雲 本とは、室町時代中期に 耕雲 (花山院長親)が将軍足利義持に献上した源氏物語の写本およびその写本のために整えた源氏物語の本文のことである。 旧注の一つ『明星抄』は、この「 耕雲
- 曼殊院本源氏物語
- ポータル 文学 曼殊 院 本源氏物語(まんじゅいんほんげんじものがたり)は、源氏物語の写本の一つ。現在京都の曼殊 院 に所蔵されているためにこの名称で呼ばれる。 河内本、中でも 耕雲 本系統の本文を持つ写本として比較的古くから知られている写本である。蓬生・関屋・薄 雲 の三帖のみが現存する零本ではあるが、 耕雲
- 高松宮家本源氏物語
- 本写本は、現存する源氏物語の写本の中ではもっとも「 耕雲 本」と呼ばれる写本の原本に近い写本であるとされている。 耕雲 本とは、室町時代中期に 耕雲 (花山院長親)が将軍足利義持に献上する源氏物語の写本を作るために整えた源氏物語の本文であるとされており、当時はこの「 耕雲 本」とは青表紙本でもなく河内本でもない 耕雲
- 耕雲院
- 耕雲院 (こううんいん)は、以下の寺院などの 院 号。 耕雲院 (都留市) – 山梨県都留市夏狩(都留郡夏狩村)にある曹洞宗の寺院。種月山 耕雲 禪院。 耕雲院 (一宮市) – 愛知県一宮市大和町妙興寺にある臨済宗妙心寺派の寺院。長嶋山妙興寺(妙興報恩禪寺)の塔頭。 耕雲 庵 耕雲 寺 耕雲 山 雲耕 院 [脚注の使い方]
- 花山院長親
- 正長2年(1429年)7月10日に薨去、享年83か。これは『薩戒記目録』の同日条に「 耕雲 菴主明魏入滅事」と見えることによる。終焉の地に関しては遠江国 耕雲 寺説や上野国妙義山説もかつてあったが、長親が晩年地方に下ったとする史料はなく、やはり京都東山の 耕雲 庵にて薨去したとみる説が有力である。南朝廷臣の前歴を持ちながら、学
- 東洋大学本源氏物語
- 玉鬘の冒頭から3分の2と少女の末尾部分を1帖に合冊した写本であり、巻末には 耕雲 の署名と少女巻の巻名歌「いにしへの 雲 のかよひ路跡ふりぬきをとめのすかたいまはわすれよ」が記されている。本文系統は河内本の中でも 耕雲 本系統のものであり、 耕雲 本の祖本と考えられている曼殊 院 本の僚巻であると考えられている。『校異源氏物語』及び『源
- 金子本源氏物語
- 耕雲 本」を「青表紙本にあらず河内本にあらず」と述べており、それ以後の古注釈書のいくつかも大筋でこの記述を受け継いで来たため、かつてはこの「 耕雲 本」については「 耕雲 本」原本とそこからの転写本を一つの系統と考えて青表紙本でもなく河内本でもない 耕雲
- 仙源抄
- 和田英松蔵本 原本は、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で焼失した。写しが東京大学資料編纂所と宮内庁書陵部にある。 耕雲 本系統の伝本 耕雲 自筆本 耕雲 自筆とされる本。中院家旧蔵。現京都大学附属図書館の所蔵。 広橋本 江戸時代前期の書写。広橋家旧蔵。現京都大学附属図書館の所蔵。 図書寮乙本
- 紫波町
- のほとんどがやませの被害を受けやすい地域だったため、穀倉地帯が飛び地に選ばれたとされているが、霊松 院 (南部直房側室)の母である 耕雲院 の故郷だったことも選ばれた理由と考えられている。 平安時代(神護景 雲 2年=西暦768年)- 称徳天皇によって「高水寺」が創建される。 平安末期〜鎌倉初期まで - 奥州藤原氏の一族・樋爪氏の本拠地となる。
- 尾州家本源氏物語
- 、真木柱、横笛、早蕨の13帖は清水谷実秋による補写とされる。池田亀鑑はこの補写の巻は 耕雲 本を元に書写されたとしたが、加藤洋介は 耕雲 本の祖本と考えられる曼殊 院 本や東洋大学蔵少女・玉鬘巻と比較した結果、池田とは逆に 耕雲 本そのものが補写された後の尾州家本源氏物語をもとに作られたとした。
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