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丈六堂

基本情報

所在地
〒409-2524
山梨県南巨摩郡身延町身延4239
TEL / FAX
0556-62-0419
e-MAIL
URL
業種
寺院
コメント
最寄り駅
JR身延線 塩之沢 2420m
JR身延線 身延 3460m
JR身延線 波高島 4710m
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法量
日本ではこのスケールで作成された仏像を「 丈六 仏」と呼び、これを本尊として安置する建物を「 丈六堂 」と言う。日本最古の本格寺院として蘇我馬子が建立した飛鳥寺も 丈六堂 であり、以後の仏教寺院もこれにならって建てられた。藤原道長が建てた無量寿院(法成寺)の阿弥陀 堂 には9体の阿弥陀如来像が置かれたが、これも 丈六 仏である。
藤原清衡
市)の慈恩寺を再興したという(『瑞宝山慈恩寺伽藍記』)。阿弥陀 堂 (常行 堂 )・釈迦堂(一切経堂)・ 丈六堂 を新造し、鳥羽院より下賜された阿弥陀三尊を阿弥陀 堂 に、釈迦三尊と下賜された一切経五千余巻を釈迦堂に、基衡が奉納した 丈六 尺の釈迦像を 丈六堂 に安置した。ただし、基衡は1100年前後の生まれと目されるため
久遠寺
釈迦如来立像 -昭和44年9月12日指定。本師 堂 奥殿安置。鎌倉時代の像。(身延町史) 丈六 釈迦像 -昭和44年9月12日指定。 丈六堂 安置。江戸寛永年間、京都鳴滝三宝寺の中正院日護の作。 三光 堂 金銅釈迦如来坐像 -昭和41年6月1日指定。露仏。江戸時代に京極高勝から寄進されたもの。
藤原基衡
天仁元年(1108年)、鳥羽上皇の勅宣により、出羽国寒河江荘慈恩寺に阿弥陀 堂 (常行 堂 )・釈迦堂(一切経堂)・ 丈六堂 を新造し、鳥羽院より下賜された阿弥陀三尊を阿弥陀 堂 に、釈迦三尊と下賜された一切経五千余巻を釈迦堂に、基衡が奉納した 丈六 尺の釈迦像を 丈六堂 に安置したという。だが、この逸話では基衡の年齢が幼すぎ、父・清
丈六寺
丈六 寺(じょうろくじ)は徳島県徳島市 丈六 町丈領に所在する曹洞宗の寺院。正式には瑞麟山 慈雲院 丈六 寺という。 本尊は釈迦如来(本堂)と聖観世音菩薩(観音堂)。寺号は 丈六 仏の観音像を安置することに由来する。 徳島県内の寺院の中では文化財が多く阿波の法隆寺とも呼ばれる。阿波秩父観音霊場第24番札所。
貞暁
菩提を弔わせるべく援助・出資を行なった。これを受けて貞暁は貞応2年(1223年)に源氏三代の将軍の菩提を弔うために高野山五坊寂静院の経智坊に 丈六堂 という阿弥陀 堂 を建立。その中に安置した阿弥陀如来座像の胎内に父・頼朝の遺髪を納めて供養したほか、実朝に対しても五輪塔を設営して追善を行なっている。
慈恩寺 (寒河江市)
天仁元年(1108年)、鳥羽上皇の勅宣により藤原基衡が阿弥陀 堂 (常行 堂 )、釈迦堂(一切経堂)、 丈六堂 を新造し、鳥羽院より下賜された阿弥陀三尊を阿弥陀 堂 に、釈迦三尊と下賜された一切経五千余巻を釈迦堂に、基衡が奉納した 丈六 尺の釈迦像を 丈六堂 に安置した(『瑞宝山慈恩寺伽藍記』)。このとき山号を雷雲山と改
飛鳥寺
丈六 仏完成の記事では「元興寺」と表記され、壬申の乱のあった天武天皇元年(672年)の記事中には「飛鳥寺北路」「飛鳥寺西槻」の表記がみられる。 ^ 「露盤」とは塔婆の屋根上にある相輪の基礎部分を指すが、古くは相輪全体を指して露盤といった。 ^ 「 丈六 光」は「 丈六 (一 丈六 尺)の仏像の光背」の意味。一丈六尺は約4
法金剛院
皇、後白河天皇の母である。こうして最盛期を迎えた法金剛院は、四季折々の美しい草木や浄土式庭園を中心とし、池の西に現存する 丈六 の阿弥陀如来坐像(国宝)を祀る西御堂、南に九体阿弥陀 堂 と呼ばれる南御堂、東に待賢門院の御所などが立ち並んでいたというが、次第に衰微していった。
本間元忠
年(1239年)には幕府重臣の二階堂行盛や三善康連らとともに禁令の発布を奉行している。嘉禎3年(1237年)北条政子十三回忌法要のために建立された 丈六堂 の上棟式において調度懸を務めた。寛元4年(1246年)すでに出家していた元忠は、宮騒動によって京都へ送還される前将軍藤原頼経の道中供奉の一人を務めている。

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