大鋒寺
基本情報
- 所在地
- 〒381-1214
長野県長野市松代町柴38
- TEL / FAX
-
026-278-4142
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
- 最寄り駅
- JR信越本線 今井 4590m
- JR信越本線 川中島 4880m
- JR篠ノ井線 篠ノ井 5390m
- しなの鉄道線 篠ノ井 5390m
- JR信越本線 篠ノ井 5390m
- 周辺情報
- 長野市立寺尾小学校 小学
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- 谷街道 道路名
- 長野市立博物館 博物館
- エネオス松代SS エネオス
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- 大鋒寺
- 大鋒寺 (だいほうじ)は、長野県長野市松代町柴にある曹洞宗の寺院。 1657年(明暦3年) 初代松代藩主真田信之が次男信政に家督を譲り、柴村に隠居屋敷を構える。 1658年(万治元年)10月17日 真田信之が隠居屋敷にて死去。屋敷は長国寺の観国和尚により 大鋒寺 として改められる。信之の墓所がつくられる。
- 金井池
- になると、家に置いておいた土金水が樽の中の酒を飲み始めるという噂話もある。信之亡き後、彼が晩年隠居していた屋敷の跡に 大鋒寺 が建てられ、池を含む周辺の土地が寺社領となった。土金水は 大鋒寺 に保存されており、一説にはクジラの椎骨とも言われている。 かつては池の水をポンプでくみ上げ、農業用水として用いられて
- 真田信之
- 同年10月17日に死去。享年93。辞世は「何事も、移ればかわる世の中を、夢なりけりと、思いざりけり 」。 墓所は長野県長野市の 大鋒寺 にあり、肖像画も所蔵されている。また、真田家の菩提寺長国寺には、藩祖信之の霊屋など歴代藩主の墓所が設けられている。真田家は江戸時代を通じて存続し、
- 松代町 (長野県)
- 2015年(平成27年) - まちおこしのため、「松代エヴァンゲリオンの町化計画プロジェクト」を立ち上げ。 長国寺 大英 寺 明徳 寺 梅翁院 大鋒寺 大林寺 蓮乗寺 林正 寺 西楽 寺 法泉寺 乾徳 寺 開善寺 清水 寺 恵明寺 象山神社 白鳥神社 中村神社 日本基督教団松代教会 松代大本営 - 戦争遺跡、このうち象山地下壕を無料一般公開
- 松代城
- 曲川瀬直し後、造られた堀 城内いたる所に茶室が存在した。九扈(きゅうこ)亭、知身貴(ちしんき)亭の額のみ現存する。 九扈亭 初代藩主真田信之によって芝の隠居所(現 大鋒寺 )に建てられたが、後花の丸西側に移築された。 信玄茶屋 花の丸南西にあり、武田菱がついていたことから命名される。 知身貴亭 文政11年に本丸の北西に建てられた。
- 真田信繁
- は、昌幸・信幸は前田利家・上杉景勝らと松井田城・箕輪城攻めに、信繁・吉継は石田三成の指揮下で忍城攻めに参戦したと伝えられる。 文禄の役においては、『 大鋒 院殿御事跡稿』によれば、昌幸・信幸とともに肥前名護屋城に700名の指揮を執って在陣している。『松浦古事記』によると、三ノ丸御番衆の御馬廻組の中に信繁の名がある。
- 小烏丸
- 正倉院宝物の直刀の中には 鋒 両刃造のものがある。御物の「小烏丸」の他にも 鋒 両刃造の太刀は幾振りか現存しており、各地・各時代の刀工が研究のため写しとして製作していたようである。兵庫県加東市にある清水 寺 には平安時代の征夷大将軍としても高名な大納言の坂上田村麻呂が寄進したとされる「大刀
- 日本刀
- 現存在銘作のある最古の刀工とみなされる。 平安時代の太刀の特徴を以下に列記する。造り込みは鎬造り、庵棟(いおりむね)で、身幅(みはば)は総じて狭く、 鋒 (きっさき)が詰まって小切先となる。姿は腰から棟側にあたかも倒れるような姿をしており、反り高く、物打(ものうち)は反りが伏せごころ。踏ん張りのある(
- 祭壇
- 大 壇や護摩壇なども広義には祭壇ととることができる。 須弥壇の一例。真言宗智山派、龍 鋒 山巣鴨 寺 、福寿観音の本堂の須弥壇(写真 奥) 家庭用の仏壇の例。NHKのドラマ『ごちそうさん』で再現された大阪の「西門家」の居間の仏壇 仏教式の葬式用祭壇の例 ^ 『日本 大 百科全書』【祭壇】 ^
- 赤間町
- 大火で本行寺が焼失したが、法名日啓上人が再興。 弘化元年(1845年) - 末繁令輔が寺子屋を開設。のち文久3年(1863年)には廃止。 文久3年(1863年) - 撰 鋒 隊の宿舎であった教法寺で撰 鋒 隊と奇兵隊とが争う(教法寺事件)。 明治34年(1901年)イギリス領事館を開設。5年後には今の唐戸町に移設。 大正4年(1915年)
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