二上射水神社
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- 二上射水神社
- 二上射水神社 (ふたがみいみずじんじゃ)は、富山県高岡市の 二上 山南麓にある 神社 である。式内名神大社、越中国一宮で明治時代に遷座した 射水神社 の元の鎮座地である。 二上 山を神体山とし、 二上 大神を祀る。旧社格は村社。 境内には、 二上 山養老寺(別当寺)のひとつである高野山真言宗の寺院、慈尊院も併設されている。
- 高岡市
- 546人。1928年(昭和3年)に編入された旧 射水 郡西条村。 川原(かわら) 人口3,032人。市中心部北側の地区。 成美(せいび) 人口7,393人。市中心部北側の地区。高岡市民病院がある。 二上 (ふたがみ) 人口2,388人。1933年(昭和8年)に編入された旧 射水 郡 二上 村。富山大学高岡キャンパスがある。
- 射水郡
- 射水 市が発足。同日 射水 郡消滅。 自治体の変遷 延喜式神名帳には13座12社(大社1座1社、小社12座11社)が記載されている。大社は名神大社であるが、写本により 射水神社 とするものと気多 神社 とするものとがある。 射水神社 (高岡市古城 射水神社 、高岡市 二上 二上射水神社 ) 道 神社 (論社3社) 物部 神社 (高岡市東海老坂)
- 射水神社
- 二上 神(ふたがみのかみ)であった。 二上 神は 二上 山(ふたがみやま)山麓の 二上射水神社 に祀られている。 創建は奈良時代以前のこととされる。社伝によれば、当 神社 は 二上 山を神奈備とし、太古よりその麓に鎮座していたが、養老元年(717年)に行基が勅を受けて 二上 山麓に別当寺を建立し、 二上 神を 二上
- 二上山 (富山県)
- 二上 山(ふたがみやま)は、富山県の高岡市と氷見市に跨がる標高274mの山。 二上 丘陵の主峰。 雨晴海岸などの近隣の景勝地とともに、能登半島国定公園を形成する。 かつて山麓に 射水神社 があったが、明治のはじめに現在の高岡城址へ移された。跡地には 二上射水神社 がある。 「 二上 山」の名は、現在の 二上
- 山車
- ばれるが、その漢字には山車が使われた。現在の祭礼では、巡行されない置き山は数が少なく、巡行される山車がほとんどである。 富山県 射水 市の放生津八幡宮と高岡市の 二上射水神社 では古代信仰の形態である築山行事が現在も行われている。放生津八幡宮祭礼曳山ならびに御車山は、この築山行事の形態を移動できるように
- 越中国
- 射水 郡にあったとされるが、写本により異同があり、以下の2社の説がある。 射水 郡 気多 神社 - 九条家本(最古の写本)に拠る。高岡市伏木一宮。 射水 郡 射水神社 - 出雲本に拠る。江戸時代までは現在の高岡市 二上 にあった。 総社・一宮 総社 不明 一宮 射水神社 、気多 神社 、高瀬 神社 、雄山 神社
- 富山県
- 1081年(承暦5年)2月 - 二上 神社 ( 射水神社 )を正二位に、高瀬 神社 及び鵜坂 神社 を従二位に陞叙する。 1090年(寛治4年)7月13日 - 賀茂別雷 神社 (上賀茂 神社 )及び賀茂御祖 神社 (下鴨 神社 )に各600余町ずつ旧 射水 郡下村を中心とする不輸田が寄進される(倉垣荘)。 1103年(康和5年)6月10日
- 高岡御車山祭
- らないで操る。獅子頭は1983年(昭和58年)に古くからの言い伝えを元に復元再興されたもので、古くは 二上 の村落が運営していたが、復元を機に坂下町によって執り行われることとなった。復元には 二上射水神社 の築山行事で使用される富山県内最古の獅子頭といわれる源太夫獅子を元としている。前述のとおり1991年
- 富山県指定文化財一覧
- ※諏訪 神社 氏子 善徳寺宝物(生活用具類)〔南砺市城端西 上 〕1980年9月18日指定 ※善徳寺 下村加茂 神社 やんさんま(流鏑馬)〔 射水 市加茂〕1967年3月25日指定 ※下村加茂 神社 神事伝承会 城端曳山祭行事〔南砺市城端〕1981年1月22日指定 ※城端曳山祭保存会 二上射水神社 の築山行事〔高岡市 二上 谷内〕1982年1月18日指定
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