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興亜観音

基本情報

所在地
〒413-0002
静岡県熱海市伊豆山1135伊豆山鳴沢
TEL / FAX
0557-80-0738
e-MAIL
URL
業種
寺院
コメント
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周辺情報
東急ハーヴェストクラブ熱海伊豆山 ホテル
東急ハーヴェストクラブVIALAannex熱海伊豆山 ホテル
熱海市立伊豆山小学校 小学
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興亜観音
興亜観音 (こうあかんのん)は、静岡県熱海市伊豆山にある 観音 像。また、同 観音 像を祀る宗教法人礼拝山 興亜観音 (らいはいざんこうあかんのん。以下「 興亜観音 」という)。日蓮宗から分かれた法華宗陣門流(本山: 新潟県三条市)の系ではあるが、 興亜観音 はこれにも属さず、日本で唯一の独自の歴史と祭祀を持った独立し
観音菩薩
神奈川・長谷寺 - 十一面 観音 (神奈川県指定重要文化財) 神奈川・弘明寺 - 十一面 観音 (重要文化財) 神奈川・大船 観音 寺 - 白衣 観音 静岡・礼拝山 興亜観音 - 興亜観音 福井・羽賀寺 - 十一面 観音 (重要文化財) 福井・馬居寺 - 馬頭 観音 (重要文化財) 滋賀・石山寺 - 如意輪 観音 (重要文化財) 滋賀・向源寺(渡岸寺)
興亜観音・殉国七士之碑爆破事件
爆弾製造技術の腕試しも兼ねて、「日本帝国主義」の象徴となるものを爆破することになった。今回の事件の標的となった「 興亜観音 」は、「南京大虐殺の張本人」とされた松井石根陸軍大将が建立した 観音 像で、「殉国七士之碑」は松井とその他のA級戦犯刑死者を祀る祈念碑であった。こういう関係から標的となった。
松井石根
主人に相談し、昭和15年(1940年)2月、日中戦争(支那事変)における日中双方の犠牲者を弔う為、静岡県熱海市伊豆山に 興亜観音 を建立し、自らは麓に庵を建ててそこに住み込み、毎朝 観音 経をあげていた。 軍籍を離れた松井は「大亜細亜協会」会頭として、アジア主義運動を展開し、国内各所での講演活動を行っていた。
板垣正
ねている。映画『南京の真実』の賛同者。田中正明の親友として知られており、田中の死去(2006年)に際して葬儀委員長を務めたほか、田中の後任として「 興亜観音 を守る会」の第二代会長を務めた[要出典]。 2012年9月5日、板垣、三宅久之、すぎやまこういちなど保守系の著名人28人は、同年9月の自由民主党総
田中正明
て訪台した5名の日本人台湾使節団の一人として、蔣介石と面談した。 晩年には南京事件の存在に否定的な立場からの言論活動を活発に行った。 1994年、 興亜観音 を守る会会長。 2006年1月8日、肺炎のため東京都小金井市の病院で死去、94歳没。板垣正が葬儀委員長、深田匠が葬儀副委員長を務めた。
殉国七士廟
加藤信行「戦犯の墓碑を支える人々― 興亜観音 ・殉国七士の碑をめぐって(聖地・慰霊・宗教的ナショナリズムの再構築)」『宗教研究』第80巻第4号、日本宗教学会、2007年3月、973–974、NAID 110006271642。  日本青年社 - 廟の維持管理をおこなっている 興亜観音 殉国七士廟奉賛会 表示 編集
興禅寺 (横浜市南区)
での遺骨集めであった。やがて一升ほどの白っぽい骨灰を集めると、壺につめて、男たちは姿を消した。骨壺は男たちによって熱海まで運ばれ、伊豆山山腹に在る 興亜観音 に隠された。・・・・・・七つの遺骸は、その前日、十二月二十三日の午前二時五分、二台のホロつき大型軍用トラックに積まれて巣鴨を出、二台のジープに前後
12月12日
1966年 - 中央本線初の特急列車「あずさ」がデビュー。 1969年 - イタリアでフォンターナ広場爆破事件が発生。 1971年 - 興亜観音 ・殉国七士之碑爆破事件起こる。 1973年 - 三菱樹脂事件の最高裁大法廷判決。 1979年 - 韓国で粛軍クーデター。全斗煥少将が軍の実権を掌握。
中村粲
私設の研究機関「昭和史研究所」と市民団体「NHK報道を考へる会」の代表を務めた。2006年より、 興亜観音 を守る会の第3代会長を務めた( 興亜観音 側とは2009年に絶縁。昭和史研究所会報151、153号)。昭和史研では、当時を知る者が健在の間に貴重な証言をとる活動を活発に

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