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昌渓院

基本情報

所在地
〒410-2114
静岡県伊豆の国市南條1380
TEL / FAX
055-949-3661
e-MAIL
URL
業種
寺院
コメント
最寄り駅
伊豆箱根鉄道駿豆線 伊豆長岡 1640m
伊豆箱根鉄道駿豆線 韮山 1920m
伊豆箱根鉄道駿豆線 原木 2920m

関連情報

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瀧門寺
山号は瀧門寺背後の山の頂に多宝塔があったところから、また寺号は背後に滝を抱えていたところから名付けられたとされている。伊豆の国市(旧韮山町)の 昌渓院 を本寺とするが、古い時代は密宗だったと伝えられている。1573年(天正元年)に林屋(りんおく)という僧によって中興開山され曹洞宗に寺院になった。
上山田付城
だじょう)や上山田陣城(かみやまだじんじろ)とも呼ばれ、陣城の役割を果たした。 上山田付城は 昌渓院 の北東約400m、韮山城の東にある比高140mの山の頂に築かれ、西北西方面には追越山付城が、南方面には 昌渓院 付城がある。韮山城からは死角にあり、あくまで陣城の役割なので、天守や櫓などは建造されなかった
上鳳駅
- 忘憂駅 K121 京春線 ITX-青春 (一部のみ停車) 清凉里駅 K117 - 上鳳駅 K120 - 退 渓院 駅 P125 急行 回基駅 K118 - 上鳳駅 K120 - 退 渓院 駅 P125 緩行 中浪駅 K119・光云大駅 119(一部列車のみ) - 上鳳駅 K120 - 忘憂駅 K121
今川氏親
氏親の子ではないとする見解を採り(今川氏一門の出身であった可能性はある)、黒田は氏親の女子で実在を確認できるのは、吉良義堯室(徳蔵 院 )・中御門宣綱室・北条氏康室(瑞 渓院 )・瀬名貞綱室の4名とし、瀬名貞綱の実弟である関口氏広の室を義元の妹とするのは兄・貞綱との誤認と推測している他、小笠原春義の室や鵜
早川殿
実名は不明。法名から蔵春 院 殿(ぞうしゅんいんでん)、蔵春 院 とも称される。 出生年や生母を確定できる史料はない。長らく系図類をもとに「北条氏康の庶出の長女、北条氏政の異母姉」と理解されてきたが、北条氏・今川氏の家族関係の研究の進展に伴い「北条氏康と瑞 渓院 (今川氏親の娘)の間の嫡出の女子で、北条氏政の同母妹」との説が出ている。
北条氏邦
うじくに)は、戦国時代の武将。北条氏康の五男。後北条氏が豊臣秀吉による小田原征伐で滅亡した後は前田利家の家臣となった。 従来の通説では氏康の四男で、正室・瑞 渓院 を母とするとされていたが、元亀2年(1571年)における北条家中での序列が、それまで弟とみられてきた氏規どころか氏康の養子(実際は甥)である氏忠より
寿桂尼
家)の出自で、父は権大納言中御門宣胤。弟に中御門宣秀、妹は山科言綱の正室・黒木の方。子に今川氏輝、今川義元、瑞 渓院 (北条氏康室)など。名は不詳。夫・氏親の死後、剃髪して翠光 院 寿桂(後に長膳 院 )と号し、大方殿と称された。氏親、氏輝、義元、氏真の4代にわたって今川氏の政務を補佐し、「尼御台(あまみだい)」と呼ばれた。
黒田基樹
『井伊直虎の真実』角川選書 2017年 『羽柴家崩壊 茶々と片桐且元の懊悩』平凡社(中世から近世へ)2017年 『北条氏康の妻 瑞 渓院 政略結婚からみる戦国大名』平凡社(中世から近世へ)2017年 『あらすじで読む「信長公記」 一級史料に記された織田信長の合戦・城・道楽』三才ブックス
督姫
その結果でも毒物は検出されることはなかった。 ^ 督姫の母方の祖母は今川氏親の娘であり瑞 渓院 とは姉妹になるため、瑞 渓院 の孫である氏直とは、再従兄妹(はとこ)の関係である。 ^ ここで出てくる池田輝政の娘は没年、 院 号、戒名などが万姫と一致しており、輝政の養女となっていた万姫のことだと分かる。 ^
北条氏政
氏政(ほうじょう うじまさ)は、戦国時代の相模国の戦国大名・武将。後北条氏の第4代当主。父は北条氏康、母は今川氏親の娘・瑞 渓院 。今川義元の甥にあたる。子に北条氏直など。正室の黄梅 院 は武田信玄の娘で、武田義信や武田勝頼とは義兄弟にあたる。通称は新九郎で、官位の左京大夫または相模守も同様に称した。号は截流斎。

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