信光明寺
基本情報
- 所在地
- 〒444-2144
愛知県岡崎市岩津町字東山47
- TEL / FAX
-
0564-45-2100
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
- 最寄り駅
- 愛知環状鉄道線 大門 2940m
- 愛知環状鉄道線 北野桝塚 3330m
- 愛知環状鉄道線 北岡崎 3760m
- 周辺情報
- 岡崎市立岩津小学校 小学
- 岩津保育園 保育所
- 愛知県立岩津高校 高校
- 岡崎市立岩津中学校 中学
- 第2号天神山緑地 都市緑地・緑道
- 岩津天満宮 神社
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- 信光明寺
- 信光明寺 (しんこうみょうじ)は、愛知県岡崎市岩津町東山にある浄土宗の寺院。山号は弥勒山。本尊は阿弥陀如来。 1451年(宝徳3年)、岩津城主の松平 信光 が、父親の松平泰親の菩提を弔うため、増上寺開山聖聡の弟子で、下総国飯沼弘経寺(茨城県常総市)から三河に布教に来ていた千葉氏出身の釋誉存冏(そんげい)を開山として創建した。
- 岩津町 (岡崎市)
- 中世、松平氏2代の松平泰親がこの地を本拠地として岩津城を築いた。これにより岩津松平家が成立したが、のちに絶え、松平信孝により押領された。 江戸時代には岡崎藩領、 信光明寺 領、妙心寺領及び西林院領であった。 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行。岩津村が八ツ木村・西阿知和村・東阿知和村・真福寺村・西蔵前
- 松平信光
- 平家、丸根松平家、牧内松平家、長沢松平家が各地に置かれた。 滝村萬松寺や岩津 信光明寺 、岩津妙心寺(明治時代に京都市中京区円福寺町の圓福寺と寺号交換)などを建立し、岩津城で逝去した。逝去により家督は三男の親忠が継いだ。 信光 の生没年については異説・諸説がある。 応永20年(1413年) - 長享2年7月22日(1488年8月29日)
- 岡崎市
- 法蔵寺(岡崎市美術博物館寄託) 雲版 1面 - 信光明寺 (岡崎市美術博物館寄託) 孔雀文磬 1面 - 妙源寺 舎利厨子 1基 - 妙源寺 瓦焼阿弥陀如来坐像 1躯 - 妙源寺 懸仏大日如来 1面 - 渡八幡宮 雲珠形松平親氏位牌 1基 - 光明寺 瀬戸染付香炉 4口 - 個人(岡崎市美術博物館寄託)
- 金戒光明寺
- 金戒 光明寺 (こんかいこうみょうじ)は、京都市左京区黒谷町にある浄土宗の大本山の寺院。山号は紫雲山。本尊は阿弥陀如来。通称をくろ谷さん(くろだにさん)と呼ぶ。 知恩院とならぶ格式を誇る浄土宗の七大本山の一つであり、また京都四箇本山(他に知恩院、百万遍知恩寺、清浄華院)の一つである。初めは念仏道場とし
- 浄土宗
- 親鸞の教団は、後に浄土真宗としてまた別の流れを作っていくのでこの4流には含まれていない。 他にも比叡山黒谷別所(現・青龍寺)と白川本坊(現・金戒 光明寺 )の 信 空教団と白川門徒、嵯峨二尊院の湛空と嵯峨門徒、知恩院を再興した賀茂功徳院神宮堂(現・百万遍知恩寺)の源智と紫野門徒、一念義を唱える幸西など4流に
- 松平親忠
- 明応5年(1496年)、三男・長親に家督を譲り、隠居。また子を分立して大給松平家、滝脇松平家などを成立させたほか、第四子の存牛は出家し、 信光明寺 住持などを経て、京都の浄土宗総本山知恩院住持を務めた。文亀元年(1501年)8月10日に71歳(または63歳)で死去した。 親忠が築いた千人塚(岡崎市鴨田町字向山)
- 松平泰親
- 松平氏創業の二代、親氏と泰親は同時代の史料にその名を見出すことが出来ず、実在を疑われてもいる。 松平泰親の墓(豊田市高月院) 松平泰親の墓(岡崎市 信光明寺 ) ^ 『徳川諸家系譜 1』15 平野明夫『三河松平一族』新人物往来社、2002年、ISBN 4-404-02961-6 C0021。 堀田正敦等編『新訂
- 松平昌安
- 永正八年辛未霜月吉日 弾正左衛門尉 信 貞(判) — 『 信光明寺 文書』松平 信 貞判物写 ^ a b c d 『新編岡崎市』, p. 654. ^ a b c d e f g h 『新編岡崎市』総集編, § 西郷 信 貞. ^ 『新編岡崎市』史料, p. 852. ^ a b c d
- 松平親氏
- 右は閑照院皎月尼(松平氏第4代松平親忠夫人)墓 (2019年(令和元年)8月) 信光明寺 にある松平三代の墓。3基の宝篋印塔のうち向かって左が親氏の墓にあたる。中央は松平氏第2代松平泰親墓、向かって右は松平氏第3代松平 信光 墓 (2019年(令和元年)11月) 大樹寺にある松平親氏墓。 (2019年(令和元年)11月)
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