紅樹院
基本情報
- 所在地
- 〒445-0894
愛知県西尾市上町浜屋敷83
- TEL / FAX
-
0563-56-3408
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
- 最寄り駅
- 名鉄西尾線 桜町前 2500m
- 名鉄西尾線 米津 2730m
- 名鉄西尾線 西尾口 2750m
- 周辺情報
- 実相寺 仏閣(寺、観音、不動、薬師)(増強用)
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- 紅樹院
- 紅樹院 (こうじゅいん)は、愛知県西尾市上町浜屋敷83にある浄土宗の寺院。「茶祖の寺」として知られ、西尾茶の原樹がある。毎年12月には「茶祖」足立順道に出来栄えを報告する茶祖奉告祭が開催される。 天台宗の寺院として創建された。大永年間(1521年-1528年)、徳川家康の乳母である大叔母にあたる隨念
- 西尾茶
- 1271年(文永8年)、実相寺の開祖聖一国師が宋から茶の種を持ち帰り、寺の境内に播いたことが西尾茶の起源とされる。1872年(明治5年)、宇治から茶種と製茶技術を持ち帰った 紅樹院 の住職足立順道が境内に茶園を開き、1884年(明治17年)には稲荷山一帯に新たに茶園が開墾された。 昭和10年代には三河式トンネル碾茶機が考案され
- 西尾市
- 八面城主・荒川義広とその妻市場姫(徳川家康の異母妹)の菩提寺、鳥居忠吉(鳥居元忠の実父)の菩提寺。キユーピー創業者中島董一郎本家の菩提寺。 宝珠 院 紅樹院 安休寺 - 一色有義が創建。一色氏発祥之地碑がある。 主な神社 久麻久神社本殿 - 市内に久麻久神社は八ツ面町と熊味町の2か所あるが、国の重要
- 橋本雅邦
- 置にいる画家で、芳崖と共に狩野派の描法を基礎としつつも洋画の遠近法等の技法を取り入れ、明治期の日本画の革新に貢献した。雅邦の代表作の一つである『白雲 紅樹 』では、従来の山水画を基にしながら、月の光と空気の透明性を微妙な色彩で表現している。 [脚注の使い方] ^ 『岡倉天心』松本清張、河出文庫、p169
- 足立順道
- 紅樹院 は荒廃していた上に負債もあったが、檀徒から浄財を募って仏殿を修理すると、玄関や庫裏も修繕し、三十三観音堂・外門・土蔵・書院を新築した。 『愛知県特殊産業の由来 下巻』によると、順道は1872年(明治5年)に浄土宗総本山である京都の知恩 院
- 池大雅
- 愛知県西尾市 (2021年4月21日). 2022年12月1日閲覧。 ^ 平成30年2月16日官報号外政府調達第30号 ^ 濱住真有 「池大雅筆 白雲 紅樹 図」『国華』第1462号、國華社、2017年8月20日、pp.17-21、ISBN 978-4-02-291462-0 ^ 平成29年12月12日『官報』号外政府調達第234号
- 観戦記者
- 田村孝雄(将棋欄では「龍」、囲碁欄では「田村竜騎兵」)…朝日新聞家庭部記者(朝日新聞の観戦記者のペンネームは、漢字一字の場合が多い) 下里正樹(奥山 紅樹 )…しんぶん赤旗記者(将棋) 田辺忠幸…共同通信記者、後にフリー(将棋) 山田史生…元読売新聞記者、フリー(将棋)。囲碁の観戦記者として名高い山田覆面子の息子
- 狩野芳崖
- 1年(1908年)3月)。こうした逸話から、両者を芸術の上でも同士であり、日本画の革新運動を進めた二人の姿を見て取ることが出来る(『重要文化財 白雲 紅樹 橋本雅邦筆』展図録、東京藝術大学藝術資料館、1992年、46頁)。 ^ 狩野養信「公用日記」4月18日 ^
- 承天閣美術館
- 飛鳥井雅縁賛 足利義満像 足利義持賛 龍湫周沢墨蹟 慈聖 院 并寿寧 院 遺誡 木造不動明王立像 慈照寺(銀閣寺)所有 春屋妙葩頂相 自賛 玳玻天目茶碗 南宋時代、吉州窯 (特記なきものは相国寺所有) 紙本金地著色蔦の細道図 六曲一双 伝俵屋宗達 絹本著色白雲 紅樹 図 池大雅 紙本金地著色遊楽図 六曲一隻 紙本著色源公忠像(佐竹本三十六歌仙絵巻断簡)
- 重要文化財
- ることが判明したため指定を解除されたものである。 絵画 近代の作品は1955年(昭和30年)に狩野芳崖の『悲母観音』と『不動明王』、橋本雅邦の『白雲 紅樹 』が指定されたのが最初で、以後、日本画・洋画ともに多くの作家の作品が指定されている。昭和期の作品としては速水御舟の『名樹散椿図』が1977年(昭和52年)に指定されたのが最初であった。
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