大徳院
基本情報
- 所在地
- 〒505-0021
岐阜県美濃加茂市森山町3丁目5-7
- TEL / FAX
-
0574-26-5814
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
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- 大徳院
- 大徳院 (だいとくいん)は岐阜県美濃加茂市森山町にある不動明王を本尊とする天台寺門宗の寺院。 山号を清開山と称する。東海三十六不動尊霊場34番霊場である。 延宝8年(1680年)に甲斐国八代郡定栖村の岩本坊が、越後国魚沼郡中の島村吉山新田(現在の新潟県南魚沼市)で本山修験宗吉祥院として開いたのが始ま
- 大徳寺
- )と、曾我蛇足、長谷川等伯の障壁画で知られる。 養 徳院 - 応永年間に足利義満の弟・足利満詮が、祇園の側に夫人善室の菩提を弔うため創建した妙雲寺が元で、後に満詮の法名を取り将軍の許可を得て養 徳院 と改称。明応年間に 大徳 寺山内に移動。 龍源 院 - 大徳 寺の塔頭の中で一番古く、仏恵大円国師を開祖として能
- 徳川家霊廟
- 台 徳院 殿霊廟(秀忠) 明治期に 大徳院 は他の塔頭寺院と合併して金剛峯寺門前に移り、旧名の蓮花 院 に復したが、現在も徳川家歴代や大奥関係の位牌が祀られている。ちなみに奥の院には松平秀康および同母の霊屋(蓮花 院 の所有)があり、そちらも国の重要文化財および世界遺産に指定されている。 台 徳院 (徳川秀忠)霊廟奥 院 宝塔
- 金剛峯寺
- 豊臣秀吉:既述。 蓮華 院 (後の 大徳院 ) - 徳川家康 永享11年(1439年)に徳川家の始祖と伝わる松平親氏が師壇契約を結んで以来の関係であり蓮華 院 を名乗っていたが、1594年(文禄3年)に徳川家康が高野参詣した際に 大徳院 に改称する。 大徳院 は聖方の代表寺院で既述の徳川家霊台は 大徳院 境内に建ち、明治に 大徳院
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- この記事の項目名は分野により以下のような表記揺れがあります。 円 徳院 (新字体、文化庁が使用) 圓德 院 (旧字体、歴史的表記) 圓 徳院 (新旧字体混用、高台寺が使用) 圓 徳院 (えんとくいん、常用漢字体:円 徳院 )は、京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院。高台寺の塔頭。本尊は釈迦如来。豊臣秀吉の正室・北政
- 赤沢正道
- れた。第3次池田内閣、第2次佐藤内閣第1次改造内閣で自治大臣兼国家公安委員会委員長として入閣した。 1982年(昭和57年)1月20日死去。戒名は 大徳院 殿晴雲仁覚正道大居士。 『坂口平兵衛意誠 追懐録』6-7頁によると、 「当時のことで、もう一つ忘れてはならないのは、昭和十一年に誕生した清交クラブ
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- 旧円 徳院 庭園(京都市東山区) 玉鳳 院 庭園(京都市右京区) - 妙心寺塔頭 桂春 院 庭園(京都市右京区) - 妙心寺塔頭 高台寺庭園(京都市東山区) 孤篷庵庭園(京都市北区) - 大徳 寺塔頭 今日庵(裏千家)庭園(京都市上京区) 酬恩庵庭園(京田辺市) - 俗に一休寺とも 聚光 院 庭園(京都市北区) 成就 院 庭園(京都市東山区)
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- 大田国際博覧会が1993年に開催されたほか、市内の儒城区にハイテク団地「 大徳 研究団地」を有するなど科学技術都市として知られる。1973年に研究学園団地として指定された 大徳 研究団地は、韓国科学技術 院 (KAIST)や韓国電子通信研究院(ETRI)など政府・民間の研究所100以上が集中して
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- 大徳院 の境内に建つが、 大徳院 は明治時代に他寺院と合併して廃寺となり、現在霊台は高野山真言宗大本山の金剛峯寺に属する。 大徳院 の前身は、徳川家の先祖にあたる松平家の菩提寺として、室町時代には蓮華 院 を名乗っていたが、1594年(文禄3年)に徳川家康が高野参詣した際に 大徳院
- 藤田省三 (野球)
- 門田富昭に今まで使わなかった筋肉を使うよう指導し、下半身を強化して同年の復活に繋げた。 1987年1月16日死去。墓所は港区元麻布の本光寺。戒名は 大徳院 殿三諦日省居士。 1952年は開幕から9月16日まで指揮 30 (1950年 - 1952年) 63 (1955年 - 1956年) [脚注の使い方]
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