行基寺
基本情報
- 所在地
- 〒503-0414
岐阜県海津市南濃町上野河戸1024-1
- TEL / FAX
-
0584-55-0031
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
- 最寄り駅
- 養老鉄道 美濃山崎 1480m
- 養老鉄道 駒野 2070m
- 養老鉄道 石津 3290m
- 周辺情報
- 行基寺(月見寺) 仏閣(寺、観音、不動、薬師)(増強用)
ウィキペディア検索
- 行基寺
- 行基寺 (ぎょうきじ)は、岐阜県海津市海津市南濃町大字上野河戸にある浄土宗の寺院である。山号は臥龍山。 別名「月見 寺 」、「隠れ城」、「お月見の 寺 」。 行基 入定の地の伝承がある。美濃高須藩藩主・高須松平氏の菩提寺である。本尊は阿弥陀如来。西美濃三十三霊場27札所。
- 行基
- 井上薫『 行基 』212頁、吉田靖雄『 行基 と律令国家』17-18頁注1に収録 奈良県 地域振興部 文化資源活用課『古代を創った人びと 行基 』奈良県 地域振興部 文化資源活用課、2016年。 行基 図 行基寺 続日本紀 竹林寺 (生駒市)の 行基 墓(国の史跡) ウィキメディア・コモンズには、 行基 に関するカテゴリがあります。
- 海津市
- 1700年(元禄13年) - 尾張藩主徳川光友の二男松平義行が高須に封じられた時、 行基 創建の寺院跡といわれていた場所に、松平家の菩提寺として1705年(宝永2年)に再建されて 行基寺 と命名された。地元産の河戸石を用いた城郭造りで、濃尾平野を一望できる山腹にある。
- 松平義建
- で生活したことはないが、生前に2度の国入りをしており、お忍びで長良川鵜飼を見学したり、領民とも交流したりした記録が伝わる。また、同家の菩提寺である 行基寺 に伝わる記録によると、弘化4年(1847年)の滞在時に催した松茸狩りには、義建の側室とみられる「お千代」や「お花」といった女性たちも参加したとあり
- 行基図
- 行基 図(ぎょうきず)とは、古式の日本地図。奈良時代の僧侶・ 行基 が作ったとする説があるが、当時作成されたものは現存しておらず、真偽は不明。但しこの図が後々まで日本地図の原型として用いられ、江戸時代中期に長久保赤水や伊能忠敬が現われる以前の日本地図は、この 行基 図を元にしていたとされる。こうした日本地図を
- 駒野駅
- 出典:岐阜県統計書各年度版 近鉄広報発行パンフレット「きんてつ」 海津市文化会館 海津市役所城山支所 南濃郵便局 月見の森 羽根谷だんだん公園 行基寺 海津市立城山小学校 海津市立城南中学校 岐阜県立海津明誠高等学校(海津校舎) 南濃温泉 水晶の湯 国道258号 養老町オンデマンドバス バス停
- 城山町 (岐阜県)
- 城山村、石津村、下多度村の3村での合併協議がすでに 行 われており、この合併協議が合意されるのを前提で町制施行したものである。 近畿日本鉄道養老線 駒野駅・美濃山崎駅 城山町立城山小学校 城山町立城山中学校 岐阜県立海津高等学校 城山町立城山分校 行基寺 駒野城址 [脚注の使い方] ^
- 岐阜県指定文化財一覧
- 絹本著色聖徳太子六臣像〔大垣市・浄源 寺 〕 絹本著色真宗高祖列坐像〔大垣市・浄源 寺 〕 絹本著色両界曼荼羅〔大垣市〕 一光三尊弥陀仏〔海津市・ 行基寺 〕 阿弥陀如来像〔神戸町・神護 寺 〕 夜叉姫感得地蔵菩薩図〔神戸町・神護 寺 〕 涅槃絵像〔神戸町・神護 寺 〕 親鸞聖人絵画〔神戸町・性顕 寺 〕 親鸞聖人絵画〔神戸町・信願 寺 〕 絹本著色親鸞聖人御絵伝〔神戸町・
- 水間寺
- 行基 堂(貝塚市指定有形文化財) 薬師堂 弁天堂 瑞泉堂 南の院 本堂 経堂 鐘楼 聖観世音出現の滝 太鼓橋 本堂 附:棟札 三重塔 行基 堂 弁財天宮殿 水間千本搗餅つき(水間千本搗餅つき若中保存会) 新西国三十三箇所 3 鶴満 寺 - 4 水間 寺 - 5 道成寺 和泉西国三十三箇所 25 孝恩 寺 - 26
- 聖武天皇
- ある奈良の東大寺で大仏が造立された(飯沼は、光明皇后の念頭にあったのは唐の則天武后が国家主導で造立した奉先 寺 の大仏であったとする)。天皇と皇后の仏教観の対立は、 行基 亡き後に僧綱の中心にあった 行 信の配流事件や朝廷の政治的対立にも影響を与え、やがて皇后の甥にあたる藤原仲麻呂が政権を取ったことで皇后側の
企業データ
PAGE TOP