南宮大社
基本情報
- 所在地
- 〒503-2124
岐阜県不破郡垂井町宮代1734-1
- TEL / FAX
-
0584-22-1225
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 神社
- コメント
- 最寄り駅
- JR東海道本線 垂井 1100m
- JR東海道本線 関ヶ原 4990m
- JR東海道本線 荒尾 5440m
- 周辺情報
- 垂井町立宮代小学校 小学
- 岐阜県立不破高校 高校
- 町民体育館 体育館
- JAにしみの宮代支店 銀行その他
- 宮代保育園 保育所
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- 南宮大社
- 南宮大社 (なんぐうたいしゃ)は、岐阜県不破郡垂井町にある神社。旧称は 南宮 神社。式内社(名神 大社 )、美濃国一宮。旧社格は国幣 大社 で、現在は神社本庁の別表神社。 岐阜県西部、 南宮 山の山麓に鎮座する。「国府の南に位置する宮」として「 南宮 」を名乗るようになったとされる。鉱山を司どる神である金山彦命を祭神と
- 垂井町
- 伏見城築城の用材が表佐湊に陸揚げされる。 1600年 ‐ 関ヶ原の戦いがおこる。 南宮 山を中心に戦の舞台となる。垂井城は城主の平塚為広が討死のため廃城。 南宮大社 ・伊富岐神社などが戦火で消失。 1600年 ‐ 竹中重門が竹中氏陣屋に居を移す。 1642年 ‐ 関ヶ原の戦いで焼失した、 南宮大社 を徳川家光が再建。 1691年 ‐ 松尾芭蕉が滞在。
- 不破郡
- 在原業平が表佐に現:薬師寺の元となる館を建てる。 887年 ‐ 美濃国分寺が燃える。その後、再建される。 939年 ‐ 南宮大社 で平将門の乱の平定を祈る。 1280年 ‐ 南宮大社 で蒙古襲来の勝利を祈る。 1353年 ‐ 後光厳天皇が垂井へ来られる。 垂井曳山まつりは、この時に始められる。 1441年
- 廣田神社
- 南宮 西宮神社の境内にあり 南宮 神社とも呼ばれる。祭神:豊玉姫神、市杵島姫神、大山咋神、葉山姫神。例祭日は9月22日。 『梁塵秘抄』には、諏訪 大社 、 南宮大社 、敢國神社と共に、当摂社が 南宮 として記載されている。何故、 南宮 と称したのかは不詳。 西宮神社(西宮戎)も元は浜 南宮 と呼ばれ、当社の境外摂社であった。
- 美濃国
- (中津川市)に比定。 中川神社 (中津川市) 惠奈神社 (現 恵那神社、中津川市) 総社・一宮以下 総社:不詳 南宮 御旅神社の位置にあったとされる。(不破郡垂井町) 一宮: 南宮大社 (不破郡垂井町) 二宮: 伊富岐神社(不破郡垂井町) 大領神社(不破郡垂井町) 三宮: 多岐神社(養老郡養老町) 伊奈波神社(岐阜市)
- 神社
- 大社 は江戸時代までは杵築 大社 ・熊野 大社 の二社が名乗ったが、明治時代から1945年までは 大社 を名乗るものは出雲 大社 のみであった。戦後は旧官幣 大社 ・国幣 大社 ・官幣中社の神社のうち26社が 大社 を名乗っている。現在、ほかに気多 大社 、諏訪 大社 、 南宮大社 、三嶋 大社 ・富士山本宮浅間 大社 、多度 大社 、日吉 大社
- 垂井宿
- 垂井追分道標(中山道・美濃路分岐点) 東の見付跡 旅篭亀丸屋(浪花講の指定旅館であった。現在も営業) 垂井の泉(垂井の地名の由来となった泉)《画像》 南宮大社 大鳥居 南宮大社 石鳥居(国の重要文化財) 油屋宇吉家(かつての商家・商人宿) 本龍寺(山門は脇本陣から移築) 垂井城跡 八重垣神社 西の見付跡 竹中氏陣屋跡《画像》
- 南宮山
- 関ヶ原の戦いでは主に毛利氏が 南宮 山に陣を構えた。合戦前には浅野隊と 南宮大社 付近で交戦、池田隊と銃撃戦を展開していた者もいたが、吉川広家が東軍に内通していたため毛利、安国寺、長束、長宗我部は本戦に参加せずに戦は終わった。また、山内一豊、蜂須賀至鎮、有馬則頼らは当初 南宮
- 神社一覧
- 〈熊野神社〉 主系統本社:熊野三山(熊野本 宮大社 、熊野速玉 大社 、熊野那智 大社 )(和歌山県) 遠州の熊野三山 (三熊野神社、小笠神社、高松神社)(静岡県) 波上宮(沖縄県) 沖宮(沖縄県) 普天満宮(沖縄県) 末吉宮(沖縄県) 天久宮(沖縄県) 金武宮(沖縄県) 別系統:熊野 大社 (島根県) 杭全神社(大阪市平野区)
- 門前町
- - 諏訪 大社 ・上社 穂高 - 長野県安曇野市 - 穂高神社 下諏訪 - 長野県諏訪郡下諏訪町 - 諏訪 大社 ・下社 千代保 - 岐阜県海津市 - 千代保稲荷神社 宮代 - 岐阜県不破郡垂井町 - 南宮大社 三島 - 静岡県三島市 - 三島 大社 大宮 - 静岡県富士宮市 - 富士山本宮浅間 大社 熱田 -
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