敢國神社
基本情報
- 所在地
- 〒518-0003
三重県伊賀市一之宮877
- TEL / FAX
-
0595-23-3061 / 0595-24-3972
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 神社
- コメント
- 最寄り駅
- JR関西本線 佐那具 1870m
- 伊賀鉄道 広小路 3520m
- 伊賀鉄道 伊賀上野 3760m
- JR関西本線 伊賀上野 3770m
- 周辺情報
- 敢国神社 神社(増強用)
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- 敢國神社
- 敢國神社 (あえくにじんじゃ)は、三重県伊賀市一之宮にある 神社 。式内社(大社)、伊賀国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は 神社 本庁の別表 神社 。 祭神は次の3柱。 主祭神 大彦命(おおひこのみこと) 第8代孝元天皇第一皇子。『日本書紀』によると、四道将軍の1人として北陸道へ派遣されたという。 配神 少彦名命(すくなひこなのみこと)
- 伊賀国
- 阿拝郡 敢 国 神社 比定社: 敢國神社 (伊賀市一之宮) 総社・一宮以下 『中世諸国一宮制の基礎的研究』に基づく一宮以下の一覧。 総社:不詳 伊賀市府中に府中 神社 があるが、若宮八幡宮が明治以後に他 神社 と合祀されて改称したもので、総社ではないとされる。 一宮: 敢國神社 (伊賀市一之宮、北緯34度47分14
- 神社一覧
- 神社 一覧(じんじゃいちらん)では、日本で全国的に著名な 神社 、および日本以外の 神社 を掲載している。 敢國神社 (三重県伊賀市)(あえくに) 〈赤城 神社 〉 元宮:赤城 神社 (前橋市富士見町赤城山)(群馬県前橋市) 里宮:二宮赤城 神社 (群馬県前橋市) 論社:赤城 神社 (前橋市三夜沢町)(群馬県前橋市) 赤城神社
- 別表神社
- 和30年(1955年)7月1日に北海道小樽市の住吉 神社 、上川郡(現・旭川市)の上川 神社 、旭川市の北海道護 國神社 、岡山市の岡山縣護 國神社 、徳島県那賀郡(現・阿南市)の津峯 神社 が追加された。 この規定により、旧府県社・内務大臣指定護国 神社 を中心に別表 神社 の数は次第に増加し、昭和35年(1960年)末時点
- 三十六歌仙
- 描いた絵に和歌を記したうえで神社に奉納したと記載されている。 三十六歌仙を描く扁額は本来36面を必要とするものだが、 敢 国 神社 に伝わるものは3面1組の12面構成となっている。 敢國神社 所蔵のものは、奉納された当初の状態のまま欠落のない状態で保存されている点で特筆に値する。 ^ “源順(みなもとのしたごう)の解説”
- 廣田神社
- 西宮神社の境内にあり南宮 神社 とも呼ばれる。祭神:豊玉姫神、市杵島姫神、大山咋神、葉山姫神。例祭日は9月22日。 『梁塵秘抄』には、諏訪大社、南宮大社、 敢國神社 と共に、当摂社が南宮として記載されている。何故、南宮と称したのかは不詳。 西宮 神社 (西宮戎)も元は浜南宮と呼ばれ、当社の境外摂社であった。 齋殿 神社 伊和志豆 神社 名次神社
- 大彦命
- 四道将軍 古四王 神社 (秋田県秋田市) - 北陸地方には「古四王」「高志王」等として「越王」すなわち大彦命を祀る 神社 が分布する。 伊佐須美 神社 (福島県大沼郡会津美里町) - 会津での大彦命と武渟川別との出会いに起源を持つ。 鵜坂 神社 (富山県富山市) 舟津 神社 (福井県鯖江市) 敢國神社 (三重県伊賀市)
- 佐那具駅
- 神社 方面)は畑が広がるが、住宅が数軒ある。柘植川寄り(府中 神社 方面)は駅のすぐ近くに橋があり、それを渡ると住宅地に出る。なお、国道25号(旧道)はそこから少し離れた所を通っている。 伊賀国庁跡 御旅所古墳 御墓山古墳 了源寺 府中 神社 陽夫多 神社 敢國神社 諏訪 神社 佐那具郵便局 国道25号
- 日野西光善
- され越後権介に任じられた。兼皇太后宮少進、少教正を務め、1873年(明治6年)9月8日、兼任白峯宮宮司に就任。以後、兼豊国 神社 宮司・三 敢國神社 宮司、兼梨木 神社 宮司、兼四條畷 神社 宮司を務め、1890年(明治23年)7月、宮司職を依願退職。 1890年7月10日、貴族院子爵議員に選出され、1897年(
- 藤堂元施
- 慶応4年(1868年)1月の鳥羽・伏見の戦いでは津藩軍の総帥を務め、幕府軍を裏切って新政府側についた。ただしこれは高猷に命じられて行なったことだといわれている。 維新後は 敢國神社 の神官を務めた。明治11年(1878年)に死去。享年43。 大正13年(1924年)、正五位を追贈された。 [脚注の使い方] ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝
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