淳光院
基本情報
- 所在地
- 〒511-0019
三重県桑名市清水町45-4
- TEL / FAX
-
0594-23-1831
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
- 最寄り駅
- JR関西本線 桑名 850m
- 三岐鉄道北勢線 西桑名 870m
- 養老鉄道 桑名 870m
- 近鉄名古屋線 桑名 870m
- 三岐鉄道北勢線 馬道 1700m
- 周辺情報
- 国営木曽三川公園桑名七里の渡し公園 観光公園
- 大垣共立銀行桑名支店 地方銀行
- 海蔵寺 仏閣(寺、観音、不動、薬師)(増強用)
- 桑名八間通郵便局 中央、普通郵便局、特定郵便局、簡易郵便局
- コスモ石油桑名八間通SS コスモ石油
- 新光堂書店本店 書店
- 春日神社(桑名宗社) 神社(増強用)
- 第三銀行桑名支店 地方銀行
- THE FUNATSUYA 結婚式場
- 十六銀行桑名支店 地方銀行
- 文華堂書店 書店
- 長寿保育園 保育所
- レストランRocca 結婚式場
ウィキペディア検索
- 淳光院
- 淳光院 (じゅんこういん)は、以下の寺院などの 院 号。 淳光院 (桑名市) - 三重県桑名市にある西山浄土宗の寺院。 鳥取県鳥取市にある天台宗の寺院、大雲 院 の古称。 このページは曖昧さ回避のためのページです。一つの語句が複数の意味・職能を有する場合の水先案内のために、異なる用法を一覧にしてあります。お探
- 大雲院 (鳥取市)
- 大雲 院 (だいうんいん)は、鳥取県鳥取市立川町にある天台宗の寺院。山号は乾向山、寺号は東隆寺。本尊は阿弥陀如来。中国三十三観音霊場第三十三番札所である。 1650年(慶安3年)鳥取藩主池田 光 仲の開基により創建された寺で、当初は 淳光院 と号していたが、1814年(文化11年)に大雲 院
- 金峯山 (鳥取県)
- 豊臣秀吉の因幡侵攻に敵対して滅ぼされ、それ以前の記録を失った。 1713(正徳3)年に鳥取の 淳光院 によって再興された。歴代の鳥取藩主池田氏の庇護を受けた。なお、このとき同時に「竹美山竜王寺」も再興され、 淳光院 住職が蔵王権現の神事と竜王寺の住職を掌った。 寺は明治の神仏分離によって廃され、蔵王権現は「
- 藪家
- 公朋:東京脳神経センター (日本語) ^ 四辻季経の四男。 ^ 冷泉為豊の次男。 ^ 柳原 淳光 の次男。 ^ 四辻公遠の三男。 ^ 四辻公遠の五男。先代・範遠の弟。 ^ 清水谷雅季の三男。 ^ 正親町公明の四男。 ^ 勘解由小路 光 宙の長男。 ^ 河鰭実英の三男。 橋本政宣編『公家事典』吉川弘文館、2010年
- 徳大寺実淳
- 徳大寺 実 淳 (とくだいじ さねあつ)は、室町時代の公卿。徳大寺公有の子。号は禅 光院 。法名は忍継。 文安2年(1445年)に徳大寺公有の子として生まれる。 寛正3年(1462年)8月5日、叙従三位。 文明13年(1481年)に内大臣(1481年 - 1485年)となる。 文明17年(1485年)5月4日、叙従一位。
- 瑞光院記
- 『瑞 光院 記』(ずいこういんき)は、戦国時代の日本における叙任などの情報を提供する史料。現在は確認ができず、詳細な書誌情報も不明な史料であるが、柳原 淳光 が備忘のために作成したものという見解がある。 明治時代に『大日本史料』編纂のための資料として作成された『史料稿本』の中に、12か所が引用されているこ
- 大徳寺
- にて書画等を公開する曝涼展が行われる)。 塔頭のうち常時拝観可能なのは龍源 院 ・瑞峰 院 ・大仙 院 ・高桐 院 の4か 院 。黄梅 院 ・真珠庵・聚 光院 ・総見 院 ・芳春 院 ・興臨 院 ・孤篷庵などは秋などに期日を限って特別公開される場合がある。 龍 光院 は常時非公開。 JR京都駅より京都市営バスで約30分、「大徳寺前」(101・205・206号)下車。
- 高野山真言宗
- 寳壽 院 (和歌山県高野町) 遺跡本山(ゆいせきほんざん) 神護寺(京都市右京区)、観心寺(大阪府) 別格本山 高野山内27寺 - (和歌山県高野町) (宝亀 院 、桜池 院 、天徳 院 、正智 院 、宝城 院 、西禅院、明王 院 、龍 光院 、親王 院 、総持 院 、西室 院 、南 院 、金剛三昧 院 、龍泉 院 、 光 台 院 、福智院、本覚 院 、本王 院 、普門 院
- 吉田兼見
- たが津田は納得せず帰る。兼見は参内して誠仁親王にとりなしを依頼し、親王は柳原 淳光 を信孝のもとへ遣わした。兼見は秀吉の京都奉行・桑原貞也にもとりなしを申し入れるが京中で類件が頻発していると説明される。信孝の元へ向かった柳原敦 光 は不在のため信孝とは会えなかったが、後日に改めて面会すると信孝から「そのよう
- 良如
- 光 円、 院 号は教興 院 。法印大僧正。 父は第12世宗主准如、母は祇園宝 光院 (宝寿 院 参照)の息女・寿 光院 准勝。九条幸家の猶子。弟は准良。室は九条幸家の次女貞梁 院 、継室は八条宮智仁親王の娘殊 光院 、近江三井の人(揚徳 院 寂照)。子は第14世宗主寂如、河内顕証寺住職寂 淳 、播磨本徳寺住職寂円。
企業データ
PAGE TOP