龍津寺
基本情報
- 所在地
- 〒514-0037
三重県津市東古河町8-24
- TEL / FAX
-
059-228-6550
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
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- 小島藩
- 文政9年(1826年)、信友が本殿拝殿を改修。 第4代藩主・松平昌信の時代、 龍津寺 の遠忌法要に白隠慧鶴を招いており、白隠は 龍津寺 で『維摩経』を講じている。白隠は小島藩の惣百姓一揆の際に農民側に立ち、無血での事態収拾に貢献したと伝えられる。昌信は白隠に帰依し、 龍津寺 を墓所と定めた。 白隠慧鶴は 龍津寺 滞在中に小島藩主に宛てた手紙の形式の政治指南である「夜船閑話
- 松平昌信
- 第3代藩主・松平信嵩の長男として小島で誕生。幼名は源之助、箕之助。享保16年(1731年)、父の死により跡を継いだ。 宝暦5年(1755年)、白隠慧鶴を 龍津寺 に招き維摩会を催した。宝暦9年(1759年)から新たな人材登用や新田開発、賦役強化、支出の削減を中心とした藩政改革を行なうが、年貢を増徴(生籾五分
- 売茶翁
- 肥前蓮池道畹(佐賀県佐賀市蓮池町)の生まれ。蓮池の領主・鍋島家に仕える御殿医であった父、柴山杢之進と、母、みやの三男として生まれる。 11歳で出家し、佐賀の 龍津寺 の化霖禅師について禅を学ぶ。 13歳で、師とともに宇治の黄檗山萬福寺を訪れ、師の師である独湛禅師から偈を与えられる。これは、月海が年少であっても異
- 正親町三条実望
- その後、永正12年(1515年)内大臣に任じられるもすぐに辞した。大永3年(1523年)に61歳で出家。法名は盛空(じょうくう)。 墓所は静岡市葵区羽鳥の 龍津寺 。 父:正親町三条公治 母:不詳 妻:今川義忠の娘 男子:正親町三条公兄(1494年 - 1578年) 生母不詳 女子:西園寺実宣室 ^
- 猪飼敬所
- を続けた。弘化2年(1845年)11月10日死去、享年85。 大正13年(1924年)、従五位を追贈された。 現在、津市立西橋内中学校の北隣にある 龍津寺 の門前に、猪飼敬所先生墓所と刻んだ石柱が建っている。 『猪飼敬所遺著』 『敗鼓録』 『神山元策四礼答』 『儀礼礼節改正図』 『文公家礼儀節正誤』 『名典二詮考』
- 大潮元皓
- 延宝4年(1676年)、肥前国松浦郡伊万里土居の上にて紺屋の家に生まれる。元禄5年(1692年)出家して、蓮池 龍津寺 の化霖に師事する。売茶翁(月海元昭)は法兄にあたる。元禄11年(1698年)宇治の黄檗山萬福寺を訪れ、師の師である独湛性瑩禅師について参禅した。こ
- 津照寺
- ご詠歌:法(のり)の舟入(い)るか出づるかこの 津寺 (つでら) 迷ふ我身をのせてたまへや 寺伝によれば、大同2年(807年)に空海がこの地を巡錫した際、山の形が宝珠に似ておりこの地が霊地であると感得し、宝珠に合わせ、一刀三礼して延命地蔵菩薩を刻み堂宇を建立し開創したという。『今昔物語集』には当寺が「 津寺
- 華渓寺
- その後、南化玄興が去ると、一時衰退、無住寺院となる。 寛文7年(1667年)7月、曽根村の稲津家、長谷川家、および村民により草庵が建てられ、勢州古川村(現在の三重県津市)の 龍津寺 より合湛首座を住持として迎え、同8年(1668年)9月、妙心寺の末寺となる。 さらに、17世紀後半には稲津家の3代目当主・種正により、改めて佛鑑和
- 遂翁元盧
- は講会の日に現れて直帰するのみで、白隠が侍者を以って呼び止めても応じなかったという。 一方『白隠年譜』草稿によれば、宝暦5年(1755年)、東嶺が 龍津寺 で維摩経を説いた際、慧牧が知客を務め、石見浜田藩主・松平康福を応接している。また、宝暦8年(1758年)春にも、愚堂東寔百年忌に当たり白隠が美濃国
- 金剛頂寺 (室戸市)
- 室戸市役所 [脚注の使い方] ^ 東西に対峙している第二十四番札所の最御崎寺を東寺(ひがしでら)と呼ぶのに対し、西寺(にしでら)と呼ばれ、津照寺を 津寺 (つでら)と呼ぶ。また、当寺の用材を馬路村から調達した際に再建された北寺もある。さらに、南寺は上海市の南東にある島の普陀山である説がある。 ^
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