青巌寺
基本情報
- 所在地
- 〒515-2514
三重県津市一志町小山1375
- TEL / FAX
-
059-293-2177
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
- 最寄り駅
- JR名松線 伊勢八太 1090m
- JR名松線 一志 2240m
- 近鉄大阪線 川合高岡 2350m
- 周辺情報
- サークルK一志嬉野インター店 サークルK
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- 青巌寺
- 青巌寺 (せいがんじ)は、明治2年(1869年)まで高野山上に存在した寺院。現金剛峯寺境内の東部にあった寺院で、学侶方の寺務をつとめた中心寺院であったが、西隣にあって行人方の役 寺 であった興山寺 (廃寺)と合体して金剛峯寺となっている。現在では高野山真言宗の管長・座主の住坊である。
- 大政所
- 寺 (後の 青巌寺 だが万延元年に焼失)を創立して木食応其を開基とした。また高野山には1万石が寄進された。秀吉は8月6日に大徳寺で法要を行い、翌日、蓮台野で荼毘に付した。後陽成天皇は、勅使を遣わして仲に准三后を追号した。 墓所は大徳寺内天瑞 寺 、高野山 青巌寺 、山科本国 寺 にある。遺骨は天瑞 寺
- 木食応其
- 寺 名は、高野山の「中興開山」から来ている。また、同年荒川荘に同名の興山寺も開基している。文禄2年(1593年)には秀吉の母・大政所の菩提所、剃髪 寺 ( 青巌寺 )を開基した。興山寺 (廃寺)と 青巌寺 は現在の総本山金剛峯寺の前身となっている。その他にも応其は全国を行脚し寺社の勧進につとめ、造営に携わった 寺
- 一志町
- - 伊勢石橋駅 東海旅客鉄道 名松線:伊勢八太駅 - 一志駅 - 井関駅 - 伊勢大井駅 三重交通 一般国道 該当なし 三重県道 誕生寺 延命寺 青巌寺 安楽寺 矢頭の大杉 矢頭中宮公園 大仰の桜 とことめの里一志・一志温泉やすらぎの湯 波氏神社春祭り(4月) 祇園さん(波氏神社)(7月) 一志劇場
- 興山寺 (廃寺)
- 青巌寺 が学侶方の中心寺院となったことと相まって行人方の中心寺院となり、官 寺 ともよばれた。紀伊続風土記によれば寺領580石、本堂・祖師堂、護摩堂、天堂、庫裏などの立ち並ぶ大伽藍であった。また、秀吉によって東寺の什物であった宝物が数多く興山寺に寄進されたという。当 寺
- 高野山真言宗
- 巌寺 と、その隣にあった1590年(天正18年)に木食応其が建立した興山寺を、1869年(明治2年)に合併して 寺 号を金剛峯寺とした。 青巌寺 は、建立当初は 寺 号を剃髪 寺 と称していた。興山寺は後陽成天皇より「興山寺」の勅額が下賜された勅願 寺 であった。 合併以前は、 寺
- 青岸渡寺
- によって熊野那智大社から天台宗の寺院として独立し、新たに「 青 岸渡 寺 」と名付けられて復興した。 寺 号は豊臣秀吉が大政所の菩提を弔うために建てた高野山の 青巌寺 に由来するといわれる。 明治初期の神仏分離で熊野那智大社の行者堂は取り壊されたが、 青 岸渡 寺 の境内に再建され、2023年(令和5年)10月21日に落慶法要が営まれた。
- 金剛峯寺
- 巌寺 と興行人方の山寺 (廃寺)を合併し、高野山真言宗総本山金剛峯寺と改称した。 寺 紋は桐紋と巴紋だが桐は豊臣家の家紋で、巴は地主神として祀られている天野社の紋である。 青巌寺 は、文禄2年(1593年)秀吉が亡母の菩提のために木食応其に命じて建立し、母の大政所の剃髪を納めたことから当初「剃髪 寺
- 豊臣秀次
- 始前に関白の職を譲られ、家督を相続した。ところがその後になって秀吉に嫡子・秀頼が誕生して、理由は諸説あるものの、秀次は強制的に出家させられて高野山 青巌寺 に蟄居となった後に切腹となった。秀次の首は三条河原で晒し首とされ、その際に眷族も尽く処刑された。 ウィキソースに聚楽物語の原文があります。
- 吉祥寺 (文京区)
- 室町時代1458年(長禄2年)に太田持資(太田道灌)の開基で江戸城内に 青巌 周陽を開山に招いて創建した。道灌は、江戸城築城に際し和田倉付近の井戸から「吉祥」と刻銘した金印を得、これを瑞祥として 青巌 を請じて西の丸に建立した。山号はこの地が諏訪神社の社地であったことによる。
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