龍尾寺
基本情報
- 所在地
- 〒575-0021
大阪府四條畷市南野6丁目11-70
- TEL / FAX
-
072-879-4646
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
- 最寄り駅
- JR片町線 忍ヶ丘 1260m
- JR片町線 四条畷 1320m
- JR片町線 東寝屋川 2190m
- 周辺情報
- 四條畷市立四條畷東小学校 小学
- 式内御机神社 神社(増強用)
- 四絛畷市夜間運動場1 その他のスポーツ施設(小規模)
- 四條畷市立四條畷南中学校 中学
- 四條畷市立四條畷小学校 小学
- 四條畷市立四條畷中学校 中学
- 四條畷市立忍ケ丘小学校 小学
- 畷アサヒケ丘保育園 保育所
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- 龍尾寺
- たれた龍神の頭は下総国埴生庄に、腹は下総国印西庄に、 尾 は北條庄大寺郷に落ちそれぞれの地に祀られた。 尾 が落ちた大寺の 寺 は、釈命上人によってその名を「天竺山尊蓮院 龍尾寺 」に改められた。 龍尾寺 は、頭を祀った龍角寺、腹部を祀った 龍 腹 寺 と共に「関東三 龍 の 寺 」と呼ばれるようになったという。
- 印旛沼の竜伝承
- 龍 が天に昇って雲の中に消え、直後に雷鳴と共に閃いた稲妻の光の中で 龍 の体が三つに裂かれるのを見た。村人達は 龍 の事を思って嘆き、翌日、皆で 龍 の体を探し出した。 龍 の頭は安食で、腹は本埜で、 尾 は大寺で見つかった。村人達はそれぞれの場所に 寺 を建てて 龍 の体を納めた。それが龍角寺、 龍 腹 寺 、 龍尾寺 である。
- 雨を降らせて殺された竜
- 寺 ( 龍 光寺)を、腹の落ちたところに 龍 腹 寺 ( 龍 間 寺 )を、 尾 の落ちたところに 龍尾寺 を建てたという。 こんにち、龍頭 寺 は遺跡すら残らず、 龍 腹 寺 はそれがあったとされる場所だけが残り、 龍尾寺 のみが大阪府四條畷市にある。 龍尾寺 には、雨を降らせた竜の尻尾とされるミイラ「 龍 の 尾
- 四條畷市
- 延喜式神名帳には市域内の神社3社(忍陵、国中、御机)が記載され、1000年以上経た現在も残っている。また、1000年以上の歴史のある寺院(正法寺、 龍尾寺 )も存在している。南北朝時代には四條畷の戦いの舞台となり、戦国時代には飯盛山城の攻防戦が幾度かあり、キリシタン教会も存在した。江戸時代には天領となり農業地帯であった。
- 龍腹寺
- 当寺のほか、栄町の 龍 閣 寺 には角のついた 龍 の頭が落ちたので龍角寺に、匝瑳市の大寺には 尾 が落ちたので 龍尾寺 と 寺 号を改めたといわれる。なお、近隣の木下廃寺を本来の 龍 腹 寺 に、匝瑳市の大寺廃寺を 龍尾寺 に充てると、いずれも山田寺式の系譜を持つ軒丸瓦を採用した7世紀後半の初期寺院であり、寺院の繋がりが想定され興味深い。 当 寺
- 龍角寺
- 龍 の姿が目にはいった。大龍の許しを受けずに雨を降らせたため、小龍は3つに裂かれてしまったのである。その頭の部分はこの地に落ち、金字で経を写し一緒に堂下に埋め、龍角寺と改称したという。また、 龍 の腹が落ちた地の 寺 が 龍 腹 寺 (千葉県印西市竜腹寺)、 尾 が落ちた地の 寺 は 龍尾寺 (千葉県匝瑳市大寺)という名前になったという。
- 匝瑳市
- 屋敷と呼ばれている畑地にあった、常光寺の僧によって建てられた小坊寺の地蔵院が、寺院形態を整えてできた真言宗智山派の 寺 。 長福寺 川向にある。真言宗智山派。毎年の正月の節分法会が豪華。 龍尾寺 印旛沼の竜伝承において 龍 の 尾 が見つかった地とされる。 見徳 寺 曽我兄弟ノ宮 須賀ハリストス正教会 1899年(明治32年) -
- 印旛沼
- 2004年(平成16年)7月1日 日本の湖沼一覧 手賀沼 利根川東遷事業 印旛沼干拓 田沼意次 印西市(旧印旛村・旧本埜村) 印旛沼の竜伝承 龍角寺・ 龍 腹 寺 ・ 龍尾寺 印旛沼の怪獣 ウィキメディア・コモンズには、印旛沼に関連するカテゴリがあります。 いんばぬま情報広場
- 長尾寺
- 長 尾寺 (ながおじ)は、香川県さぬき市長尾西にある寺院。補陀洛山(ふだらくさん)、観音院(かんおんいん)と号す。本尊は聖観世音菩薩。四国八十八箇所第八十七番札所。 本尊真言:おん あろりきゃ そわか ご詠歌:あしびきの山鳥の 尾 の長 尾寺 (ながおでら) 秋の夜すがら御名(みな)をとなえよ 納経印:当 寺 本尊、長尾天神宮
- 本埜村
- 龍 腹 寺 (天台宗) その昔、大干ばつに際し竜神が我が身を3分して雨を降らせたとき、腹の部分がこの地に落ちた為、村人が竜の冥福を祈って建立したと伝えられている。ちなみに、竜の角の部分は龍角寺(印旛郡栄町)に落ち、竜の 尾 の部分は、 龍尾寺 (匝瑳市)に落ちたとされる。 龍
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