香具波志神社
基本情報
- 所在地
- 〒532-0031
大阪府大阪市淀川区加島4丁目4-20
- TEL / FAX
-
06-6301-6501
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 神社
- コメント
- 最寄り駅
- JR東西線 加島 550m
- 阪急神戸本線 神崎川 1480m
- JR東西線 御幣島 2140m
- 周辺情報
- かぐはし保育園 保育所
- 大阪市立加島小学校 小学
- 加島駅(JR) 駅(JR在来線)
- 大阪シティ信用金庫加島支店 信用金庫
- 戸の内緑地 都市緑地・緑道
- 淀川加島郵便局 中央、普通郵便局、特定郵便局、簡易郵便局
- 大豊橋 橋・トンネル
- コスモ石油セルフステーション新加島 コスモ石油
- 桂寿会桂寿病院 病院(動物は除く)
- 十三筋 道路名
- 加島中央公園 近隣公園
- すき家淀川加島店 すき家
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- 香具波志神社
- 香具波志神社 (かぐはしじんじゃ)は、大阪市淀川区加島にある 神社 。旧社格は村社。 倉稲魂神 保食神 天照皇大神 稚産靈神 埴山姫神 住吉大神 八幡大神 社名は孝徳天皇が当地に行幸され、「香ぐはし」と詠まれた句に依ると云われる。「加島 神社 旧記」によれば、天徳3年(959年)に倉稲魂神・保食神を祀ったと
- 上田秋成
- 区堂島1丁目)の紙油商嶋屋・上田茂助の養子となり、仙次郎と呼ばれた。翌年、疱瘡を病む。養父茂助は、加島村(現、大阪市淀川区加島)の加島稲荷(現、 香具波志神社 )に仙次郎の本復を祈願し、68歳までの存命を告げられ、以後、秋成も同社への参詣を怠らなかった。仙太郎の病気は快癒したが、手の指が不自由になった。
- 加島駅
- 大阪府立東淀工業高等学校 淀川加島郵便局 田辺三菱製薬工場本社跡(旧・田辺製薬加島工場、閉鎖で現在は空き地) フクシマガリレイ本社 IMV本社 シノブフーズ本社 香具波志神社 北口付近に「加島駅前」停留所、南口南側の竹島公園付近に「竹島三丁目」停留所がある。両停留所共に、大阪シティバス(旧・大阪市営バス)の路線が発着する。
- 淀川区
- かつて存在した住宅団地 都市基盤整備公団東淀川団地(建て替えられ「アーベイン東三国」となった) 大阪市立十三市民病院 大阪市立淀川図書館 香具波志神社 蒲田 神社 神津 神社 第七藝術劇場 塚本 神社 富光寺 堀城 淀川 十三大橋 新淀川大橋 淀川河川公園 なにわ淀川花火大会 - 毎年8月第二土曜日に開催 区役所の最寄り駅は阪急十三駅である。
- 富光寺 (大阪市)
- 建永2年(1207年)には法然上人が土佐に配流される途中、当寺に泊まり、その夜神崎の遊女に念仏の法話を聞かせたと伝える。 香具波志神社 に参詣した執権北条時頼が大梵鐘を寄進。延元元年(1336年)には足利尊氏を追う楠木正成が神崎橋上から富光寺の本尊に戦勝祈願したといわれる。
- 加島
- (大阪府道10号大阪池田線)と阪神高速11号池田線が南北に通る。阪神高速の加島出入口は、隣接する西淀川区竹島に設置されている。 加島駅 神崎橋 香具波志神社 富光寺 大阪府立東淀工業高等学校 大阪市立美津島中学校 大阪市立加島小学校 大阪市立加島第一保育所 大阪市立西加島保育所(2007年度より公設民営)
- 天香久山
- 原文「山常庭村山有等取與呂布天乃香具山騰立國見乎為者國原 波 煙立龍海原 波 加萬目立多都怜𪫧國曽蜻嶋八間跡能國者」 中大兄皇子の歌 「 香具 山は 畝傍ををしと 耳梨と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 妻をあらそふらしき」(巻1-13) 原文「高山 波 雲根火雄男 志
- ヤマトタケル
- 古峯 神社 (栃木県鹿沼市) 白鷺 神社 (栃木県河内郡上三川町) 高椅 神社 (栃木県小山市) 吾妻耶 神社 (群馬県桐生市吾妻山、東権見。桐生市街側に日本武尊、川内町側に弟橘姫を祀る※出典:上野国 志 ) 三峯 神社 (埼玉県秩父市、ヤマトタケル創建と伝わる。神使の狼が東征時道案内をしたとされる) 柴崎 神社
- 天智天皇
- 万葉集からも以下の一首。大和三山を詠んだ歌といわれているが、原文は 香具 山でなく高山であり、大和の天香久山ではない、畝火や耳梨は山ではないなど多くの異論がある。 香具 山は畝火雄々(を愛)しと耳梨と相争ひき神代よりかくなるらし古へもしかなれこそうつせみも嬬(妻)を争ふらしき 原文「高山 波 雲根火雄男 志 等耳梨與相諍競伎神代従如此尓有良之古昔母然尓有許曽虚蝉毛嬬乎相挌良思吉」
- 楠木正儀
- に枯死した。昭和51年(1976年)に幹も切られ、2016年現在は切り株の上に小祠が断っている。『 香具波志神社 千年史』によれば、正平16年(1361年)ごろ、神崎橋で佐々木秀房らと戦う前に、正儀は当 神社 で戦勝祈願をし、その時に乗馬を繋いだのが「正儀駒つなぎ樟」であったという(→捕虜を手厚く遇する)。
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