積川神社
基本情報
- 所在地
- 〒596-0104
大阪府岸和田市積川町349
- TEL / FAX
-
072-479-0134
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 神社
- コメント
- 最寄り駅
- 泉北高速鉄道 和泉中央 4290m
- JR阪和線 下松 5280m
- 水間鉄道 三ツ松 5370m
- 周辺情報
- まいどおおきに食堂岸和田内畑食堂 その他のファミリーレストラン
- 岸和田市立山滝中学校 中学
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- 積川神社
- 積川神社 (つがわじんじゃ)は、大阪府岸和田市 積川 町にある 神社 。式内社で、旧社格は郷社。和泉国四宮。勅願社である。 主祭神 - 生井神(いくいのかみ)、栄井神(さくいのかみ)、綱長井神(つながいのかみ)、阿須波神(あすはのかみ)、波比岐神(はひきのかみ)。 総称して一般的には座摩神と呼ばれている。
- 神社一覧
- 高天 神社 (静岡県掛川市) 千葉 神社 (千葉県千葉市) 都久夫須麻 神社 (竹生島 神社 )(滋賀県長浜市) 千栗八幡宮(佐賀県) 秩父 神社 (埼玉県) 千歳 神社 (北海道) 鳥海山大物忌 神社 (山形県) 積川神社 (大阪府岸和田市) 槻 神社 (愛知県北設楽郡東栄町) 調 神社 (埼玉県):(つき、つきのみや) 月讀 神社 (長崎県壱岐市)
- 和泉国
- (和泉国三宮:聖 神社 )) 四宮: 積川神社 (大阪府岸和田市 積川 町、北緯34度25分30.12秒 東経135度26分22.34秒 / 北緯34.4250333度 東経135.4395389度 / 34.4250333; 135.4395389 (和泉国四宮: 積川神社 )) 五宮:日根 神社 (大阪府泉佐野市日根野、北緯34度22分25
- 大鳥大社
- 大鳥連が祖神を祀ったのが始まりだと考えられている。弘仁14年7月4日(ユリウス暦823年8月14日)に 積川神社 とともに朝廷の祈雨の奉幣を受ける(『日本後紀』)。承和9年10月9日(ユリウス暦842年11月15日)に和泉国泉穴師 神社 ・ 積川神社 とともに神階昇授を受け、従五位下から従五位上になる(『続日本後紀』)。天安3年(
- 九十九王子 (岸和田市・貝塚市)
- 『和泉誌』には「今云熊野権現」、『泉州誌』には「 積川 王子、或云池田王子、余按、昔此辺、 積川 王子社領地」との記述があり、 積川 王子の別名から、 積川神社 (岸和田市 積川 町)との関連性が示唆されている。明治期の 神社 合祀に際して、夜疑 神社 (岸和田市中井町2-7-1)に合祀され廃絶した。 最寄り交通機関
- 矢代寸神社
- 積川神社 の御旅所があったが、 積川神社 鎮座地の同郡 積川 村は幕府領であった。このため、同郡小松里村字北額(山城国淀藩領)にあり、白河上皇の扁額で知られる、 積川神社 の遥拝所に御旅所を移転させ、その際、領内で古く格式の高い 神社 を探したところ、矢代寸 神社
- 泉井上神社
- 神社 )、彦火火出見尊(四宮・ 積川神社 )、鸕鷀草葺不合尊(五宮・日根 神社 )、御諸別命、和泉国六二座。慶長10年(1605年)に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建。三間社流造、檜皮葺。 幣殿 拝殿(割拝殿) 事代主 神社 大国主 神社 菅原市邊磐坂 神社 - 祭神:市辺磐坂神、菅原道真 小竹 神社 - 祭神:神功皇后
- 一宮
- 町時代の文献で順位が入れ替わっている。武蔵国# 神社 および氷 川神社 を参照のこと。 越中国は能登国を併合・分立しており、その際に一宮に変遷があった。越中国#総社・一宮、射水 神社 および気多 神社 を参照のこと。 備前国では同国内で唯一の名神大社に列せられた安仁 神社 が一宮となるはずであったが、天慶2年(939年
- 岸和田市
- こなから坂 矢代寸 神社 – 和泉国岸和田藩一の宮 三の丸 神社 – 岸和田だんじり祭発祥の 神社 、今川義元の兜を所蔵 積川神社 – 本殿は1914年(大正3年)に特別保護建造物(国宝)に指定 池田王子( 積川 王子)(廃絶) 夜疑 神社 意賀美 神社 (岸和田市) 真上八大龍王 神社 (真上町) – 旧弥栄 神社
- 岸和田十月祭礼
- 包近町(楠本神社) 山直中町(中村神社) 稲葉町西、稲葉町東(稲葉菅原神社) 積川 町 ( 積川神社 ) 旧 泉北郡山滝村に該当。山直 神社 では神輿の渡御が見られる。 内畑町、内畑町下出(山直 神社 ) 大沢町(大沢菅原 神社 ) 試験曳き : 10月第1月曜日の前日の日曜日 宵宮(宵祭) : 本宮前日の土曜日
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