鴻臚寺
基本情報
- 所在地
- 〒546-0014
大阪府大阪市東住吉区鷹合3丁目1-32
- TEL / FAX
-
06-6606-5963
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
- 最寄り駅
- 近鉄南大阪線 針中野 750m
- 近鉄南大阪線 矢田 870m
- JR阪和線 鶴ヶ丘 1130m
- 周辺情報
- 大阪市立鷹合小学校 小学
- エディオン長居公園東店 大型専門店(電化・家電)
- 橘会東住吉森本病院 病院(動物は除く)
- 大阪市立鷹合保育所 保育所
- 西松屋針中野店 大型専門店(衣料品)
- 東住吉長居公園東郵便局 中央、普通郵便局、特定郵便局、簡易郵便局
- スギ薬局長居公園通店 ドラッグストア
- 鷹合神社 神社(増強用)
- にぎり長次郎長居公園通り店 その他のファミリーレストラン
- 長居公園通 道路名
- スギ薬局鷹合店 ドラッグストア
- 出光セルフ公園通りSS 出光
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- 鴻臚寺
- 鴻臚寺 (こうろじ)は、王朝時代の中国の官署である。九 寺 のひとつ。 漢代の大 鴻臚 を起源とする。北斉のときに 鴻臚寺 が置かれ、周辺諸国や諸民族の客人を朝廷に迎え、吉凶弔祭を管掌した。唐代には賓客や葬儀の事務を管掌した。 鴻臚寺 の長官は 鴻臚寺 卿といい、その官位は従三品とされた。次官は 鴻臚寺 少卿といい、その官位は従四品上とされた。
- 寺院
- 「 寺 (じ)」は、「役所・官舎」の意(前述書)。西域僧が中国に仏教を伝えた時、はじめ 鴻臚寺 (こうろじ)に滞在し、のちに白馬 寺 (はくばじ)を建てて住まわせた。以後、宿泊所に因んで僧の住処を「 寺 」と呼ぶようになった。「院」は、寺中の別舎を指している。 日本語の「 寺
- 玄蕃寮
- 鴻臚寺 。 「玄」は僧侶(ほうし)、「蕃」は外国人・賓客(まらひと)のこと。 度縁や戒牒の発行といった僧尼の名籍の管理、宮中での仏事法会の監督、外国使節の送迎・接待、在京俘囚の饗応、 鴻臚 館の管理を職掌とした。 頭(従五位下相当 唐名:崇玄署令、典客郎中、 鴻臚 卿、主客郎中)一名 和銅元年(708年)
- 鴻臚館
- 鴻臚 館(こうろかん)は平安時代に設置された外交および海外交易の施設である。前身として筑紫館や難波館が奈良時代以前から存在した。 その名称は北斉からあった九 寺 のうちの外交施設「 鴻臚寺 」に由来し、唐の時代にその名称が日本に導入された。「 鴻 」は大きな鳥の意から転じて大きいの意。「 臚
- 遣隋使
- で、風俗はおだやかだということを知った。こころばえを至誠に、遠く朝献してきたねんごろなこころを、朕はうれしく思う。時節は漸く暖かで朕は無事である。 鴻臚寺 の掌客裴世清らを遣わして送使の意をのべ、併せて別にあるような贈り物をお届けする。」 「皇帝問倭皇 使人長吏大禮 蘇因高等至具懷 朕欽承寶命 臨養區宇
- 九寺
- 法務機関。本来は司法・裁判のことを司り刑罰を施行したが、刑部に機能を奪われた。 鴻臚寺 外国使節の応接、対応を司る官庁。到来した使節を迎え、宿舎と食事を給し、儀礼を取り仕切る。また、官僚の身内の不幸に関する儀礼も司る。平安時代の日本に置かれた 鴻臚 館の名は、 鴻臚寺 に由来している。 司農 寺 国庫に収める穀物・貨幣などの管理を行う官庁。
- 裴世清
- 士雄成が招いた。難波高麗館の上に館を新しく建てた。6月15日難波津に泊まった。船30艘で歓迎、新館に泊めた。8月3日に京に入った。12日に朝廷で「 鴻臚寺 の掌客」である裴世清は自ら「皇帝問倭皇」という書を持ち、使いの旨を言上して読み上げた。9月5日に難波大郡に、11日に帰国の途についた。 即大唐使人裴世清
- 泰昌帝
- たので臣下たちの期待は高かったが、即位して1か月で崩御した。この泰昌帝の死に関わる事件が「紅丸の案」である。即位してほどなく下痢を催した泰昌帝に、 鴻臚寺 丞を務めていた李可灼が紅丸(丸薬)を勧め、泰昌帝が一つ服用したところ気分がよくなった。ところが、もう一丸飲んだところ、翌日にわかに崩御したという事
- 訳語
- 子の義真が訳語としての能力を有していたおかげで業を為し得たことが知られている(『扶桑略記』延暦21年9月2日条)。 なお、『唐六典』によれば、唐の 鴻臚寺 には定員20名の訳語が設けられていたと記されているが、その多くが新羅などの近隣もしくは使者の来訪が多い国の訳語であったとみられ、日本語の訳語はほとんどいなかったとみられている。
- 文聖王
- 金良順と波珍飡(4等官)の興宗とが反乱を起こし849年9月にも伊飡の金式と大昕とが反乱を起こして誅殺されている。 840年には唐の文宗が詔を発し、 鴻臚寺 に留まっていた新羅からの人質や学生あわせて105名の帰国を許した。また841年7月には武宗が詔を発し、先に入唐していた新羅官僚の金雲卿を淄州長史に
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