阿部野神社
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- 阿部野神社
- 阿部野神社 (あべのじんじゃ)は、大阪市阿倍野区北畠にある 神社 。南朝方に付いて各地を転戦した北畠顕家と、その父の北畠親房を祀る。建武中興十五社の一社で、旧社格は別格官幣社で、現在は 神社 本庁の別表 神社 。 「阿倍 野神社 」は誤表記。 当社は、延元3年(1338年)に北畠顕家が石津の戦いで高師直に敗れて亡くな
- 大阪阿部野橋駅
- 阿倍野橋や阿倍野区など、現在見られる表記の大半は「阿倍野」であるが、当駅は「 阿部野 」と異なる。他には 阿部野神社 などがある。 「 阿部野 」は、中近世において主流であった表記で、江戸時代の東成郡 阿部野 村などがこの表記であった。明治以降に同郡天王寺村の大字となってからも「 阿部野 」表記であったが、1925年の大阪市編入の際に「阿倍
- 阿倍野区
- 阿倍野区(あべのく)は、大阪市を構成する24行政区のうちの一つ。名前の由来は阿倍氏から。 北部の阿倍野橋周辺は近鉄南大阪線大阪 阿部野 橋駅、Osaka Metro御堂筋線・谷町線天王寺駅、阪堺電気軌道上町線天王寺駅前駅があり、百貨店や映画館などが存在する商業地区である。国道25号を挟んですぐ北側の天
- 神社一覧
- 安仁 神社 (岡山県) 油日 神社 (滋賀県甲賀市) 阿部野神社 (大阪市阿倍野区) 天手長男 神社 (長崎県壱岐市)(壱岐一宮) 天石立 神社 (奈良県奈良市) 有鹿 神社 (神奈川県海老名市) 天久宮(沖縄県那覇市) 天穂日命 神社 (鳥取県鳥取市) 荒島 神社 (和歌山県田辺市龍神村) 有明山 神社 (長野県安曇野市) 阿禮 神社 (長野県塩尻市)
- 天王寺
- 阿部野 橋駅や 阿部野神社 にその名残をとどめている。地名の由来として最も有力な説は「阿倍寺」やその建立者である「阿倍氏」とされ、これに基いた表記である「阿倍野」が近現代においては主流となっている。しかし、別地名との誤認を避けるために仮名で表記されることも多い。 近世には東成郡天王寺村と 阿部野
- 岸里玉出駅
- )が、1913年(大正2年)に岸ノ里駅(きしのさとえき)が開業した。高野線の岸ノ里駅は、高野鉄道開業時に開設された勝間駅(こつまえき)を前身とし、 阿部野 駅(あべのえき)への改称を経て、南海本線と高野線との連絡線が開設された際に南海本線の岸ノ里駅に統合された。
- 近鉄南大阪線
- 南大阪線(みなみおおさかせん)は、大阪府大阪市阿倍野区の大阪 阿部野 橋駅から奈良県橿原市の橿原神宮前駅までを結ぶ近畿日本鉄道(近鉄)の鉄道路線。 駅ナンバリング等に使われる路線記号はF。ラインカラーは緑である。 キタ・ミナミに次ぐ大阪第3の繁華街である天王寺・阿倍野から大阪府南東部(南河内地域)の通
- 北畠顕家
- 後醍醐天皇の御前で、眉目秀麗な北斉の皇族武将高長恭に扮して『陵王』を舞ったなどの芸能関係の逸話もある。 死後、明治時代に顕家を主祭神とする霊山 神社 と 阿部野神社 が建設され、これらは建武中興十五社となった。 文保2年(1318年)3月2日、北畠親房の長男として生まれた。父の親房は後の「三房」の1人として
- 近代社格制度
- 野神社 (現・北野天満宮)と太宰府 神社 (現・太宰府天満宮)の2社が例外的に別格官幣社ではなく待遇が上となる官幣中社に列した。 神奈川県により県内宗社として明治3年(1870年)に創建された伊勢山皇大神宮が、明治4年(1871年)に列されたもの。神祇省の令達書によれば「右 神社
- 今宮戎神社
- 毎年選ばれる福娘選考会の最終審査まで勝ち残った者で、 神社 での福笹授与を行う。約25名程度。一般の巫女のアルバイトではないので、選出審査を経てのみでしかなることができない。福娘同様に、今宮戎 神社 の本殿で午前9時 - 午後9時まで1日中参拝者に奉仕する。 神仏霊場巡拝の道 44 阿部野神社 - 45 今宮戎 神社 - 46 大念仏寺 大阪七福神(恵比寿)
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