広隆寺
基本情報
- 所在地
- 〒616-8162
京都府京都市右京区太秦蜂岡町
- TEL / FAX
-
075-861-1461
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
- 最寄り駅
- 京福北野線 常盤 270m
- 京福北野線 撮影所前 330m
- JR山陰本線 太秦 380m
- 周辺情報
- 京都府立嵯峨野高校 高校
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- 広隆寺
- 広隆寺 (こうりゅうじ)は、京都市右京区太秦蜂岡町にある真言宗系単立の寺院。山号は蜂岡山。本尊は聖徳太子。蜂岡寺(はちおかでら)、秦公寺(はたのきみでら)、太秦寺などの別称があり、地名を冠して太秦 広隆寺 とも呼ばれる。渡来人系の氏族である秦氏の氏寺であり、平安京遷都以前から存在した京都最古の寺院であ
- 右京区
- 現在の右京区がある地域の歴史は古く、かつてこの地には山背(山城)国府が置かれていたともいわれる。 渡来人の秦氏もこの地方を拠点として活躍したと思われ、氏寺として 広隆寺 を建立した。 秦氏と関係の深い桓武天皇が平安京を定めると、京中に寺の建立が禁止されていたために、現在の右京区域にも多くの寺社が立ち並んだ。
- 太秦
- 広隆寺 、蛇塚古墳などの前方後円墳が良く知られている。 広隆寺 は秦氏の氏寺であり、国宝の木造弥勒菩薩半跏像(宝冠弥勒)を安置した京都最古の寺である。『日本書紀』推古11年(603年)11月条には、聖徳太子から秦河勝が仏像を賜り、蜂岡寺(はちおかでら、現在の 広隆寺
- 八角堂
- 八角堂(はっかくどう)または八角円堂(はっかくえんどう)は、各地にある寺院などの建築物。 古代 法 隆寺 夢殿(奈良時代) 栄山寺(奈良時代) 中世 興福寺北円堂(鎌倉時代) 法 隆寺 西円堂(鎌倉時代) 広隆寺 桂宮院本堂(鎌倉時代) 東福寺愛染堂(室町時代) 仏性寺本堂(室町時代) 近世 佛性寺本堂(安土桃山時代)
- 太秦広隆寺駅
- 太秦 広隆寺 駅(うずまさこうりゅうじえき)は、京都府京都市右京区太秦組石町にある京福電気鉄道嵐山本線の停留場。 停留場のすぐ北西に 広隆寺 がある。駅ナンバリングはA7。 1910年(明治43年)3月25日:嵐山電車軌道の太秦駅(うずまさえき)として開業。 1914年(大正3年)頃:太子前駅(たいしまええき)に改称。
- 三条通
- 西は、西大路通から葛野大路通までの京福電気鉄道嵐山本線(嵐電)の併用軌道が敷設されている区間を越えると北西に進み、旧二条通(太子道)と合流すると再び西に向かい、太秦( 広隆寺 前)、帷子ノ辻を経て、桂川左岸で罧原通と合流し嵐山(渡月橋)に至る。嵐山付近は観光シーズンには慢性的な渋滞が生じている。 現在は、三条大橋東詰から烏丸通までが路上喫煙等禁止区域である。
- 五条駅 (京都府)
- 51系統:比叡山頂行/京都駅行(比叡山ドライブウェイバス) 72系統:太秦 広隆寺 (映画村) 経由 嵐山・清滝行/京都駅行 73系統:太秦 広隆寺 (映画村) 経由 嵐山・苔寺すず虫寺行/京都駅行 75系統:太秦 広隆寺 (映画村) 経由 有栖川行/京都駅行 76系統:太秦 広隆寺 (映画村) 経由 阪急嵐山駅行/京都駅行 81系統:京都駅行
- 京福電気鉄道嵐山本線
- 嵐山を始めとする洛西エリアの観光地への行楽路線であるとともに、繁華街である四条通へ出るための足ともなっている。 西大路三条駅 - 山ノ内駅間と蚕ノ社駅・太秦 広隆寺 駅付近が併用軌道のほかは、すべて新設軌道となっている。 駅ナンバリングで用いられる路線記号はA。 路線距離(営業キロ):7.2 km 軌間:1435mm
- 阿弥陀如来
- (高徳院・鎌倉大仏) 木造阿弥陀如来坐像 (平等院・鳳凰堂) 木造阿弥陀如来坐像 ( 広隆寺 ・講堂) 木造阿弥陀如来坐像 (法界寺・阿弥陀堂) 木造阿弥陀如来坐像 (三千院・往生極楽院) 銅造阿弥陀如来及両脇侍像 (伝橘夫人念持仏) (法 隆寺 ) 絹本著色山越阿弥陀図 (京都国立博物館) 絹本著色阿弥陀二十五菩薩来迎図
- 873年
- 檀紀3206年 ベトナム : 仏滅紀元: ユダヤ暦: 873年のカレンダー(ユリウス暦) 12月 - 筑前国に警固田・府儲田を置く。 この年、「 広隆寺 資財帳」できる。 サーマーン朝が勃興 藤原定方、平安時代の公卿、歌人(+ 932年) 藤原忠文、平安時代の公家、武将、征東大将軍(+ 947年) 8月3日(貞観15年7月7日)
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