保久良神社
基本情報
- 所在地
- 〒658-0005
兵庫県神戸市東灘区本山町北畑680
- TEL / FAX
-
078-451-9435
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 神社
- コメント
- 最寄り駅
- 阪急神戸本線 岡本 740m
- JR神戸線 摂津本山 1000m
- JR神戸線 甲南山手 1460m
- 周辺情報
- 神戸薬科大学 大学院・大学
- 岡本駅(阪急) 駅(他社線)
- 神戸市立本山第一小学校 小学
- コープ岡本 その他のスーパーマーケット
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- 保久良神社
- 保久良神社 (ほくらじんじゃ)は、兵庫県神戸市東灘区本山町の 保久良 山(金鳥山中腹)に鎮座する 神社 である。式内社で、旧社格は郷社。 須佐之男命、大国主命、大歳御祖命、椎根津彦命(しいねつひこのみこと)を配祀する。 創立に関する詳細は不明であるが、境内外に多数の磐座群が見られ古代祭祀の場であったと考えら
- 岡本 (神戸市)
- 岡本とは旧・本山村時代の大字岡本であり、明治の大合併以前の岡本村の事である。『新 神戸の町名』では岡本という地名は 保久良 の宮( 保久良神社 )のある丘の下という意味と推測している。 岡本は古来、梅林の名所として知られ「梅は岡本、桜は吉野、みかん紀の国、栗丹波」と詠われた。山本梅
- 椎根津彦
- また、椎根津彦命を祭神とする 神社 には、兵庫県神戸市東灘区本山町の 保久良神社 がある。 保久良神社 由緒書によると「社名の起因も 1、椎根津彦命の子孫たる倉人水守等が祖先を祭祀し奉る 2、三韓役の戦利武器を収蔵するより」とあり、神武東征時速吸之門(明石海峡)に現れて軍勢を先導したとある。 椎根津彦命は 保久良神社
- 本山 (神戸市)
- 一部、本山北町一丁目の一部、甲南台の一部。森稲荷 神社 を有する。 本山での人間の居住した最古の痕跡は縄文時代の岡本東遺跡(岡本7・8丁目)にある。その他、弥生時代以降の遺跡は非常に多く見つかっている。古墳時代の銅鐸の出土地は2箇所ある。 また、 保久良神社 には弥生時代から現代に至るまでの遺構が残っており
- 東灘区
- 保久良神社 が延喜式神名帳に記載された。畿内と大宰府を結ぶ山陽道が整備され、現在の、当区の本庄地区から芦屋市にかけての地域の何れかに『葦屋駅家』が設けられた。 平安時代 北野 神社 領山路荘が住吉川沿いに存在した。一ノ谷の戦いで源範頼軍の陣地が設けられた。 鎌倉時代 春日 神社 領山道加納荘が住吉に存在した。
- 本山町 (神戸市)
- 本山町田辺 岡本と本山北町の背山。字ザフクゲ野と字松尾谷があり、後者の天上川左岸にわずかに家屋が存在する。 本山町北畑 本山北町の背山。字ザクゲ原に 保久良神社 があり、“灘の一つ火”という常夜灯で知られる。 本山町中野 古くは中ノ村とある。本山北町と甲南台の背山で、定住人口はない。 本山町森
- 武蔵国
- 鎌倉郡鎌倉町であったが、1897年(明治30年)に当該地区の大字峠が武蔵国 久良 岐郡六浦荘村に編入されているので、通常は旧武蔵国に含まれる。 ^ 多摩川河口には外港が作られなかった。 ^ 「ふちゅう地下マップ」参照[1] ^ 无射志国荏原評銘文字瓦(川崎市教育委員会文化財課) ^ 御田八幡 神社 由緒。 ^ 高橋氏文にある武蔵国造の意の表記。
- 青木 (神戸市)
- が「おおぎ」のふりがなを付すほか、地域にはひらがなで「おおぎ」と記す店舗・施設がある。 古くは「あをぎ」と書いており、ここから丁度北の山中にある 保久良神社 の祭神椎根津彦命が青亀(おうぎ)の背にのってこの浜に漂着したとあり、落合重信『埋もれた神戸の歴史』によると沖縄における「オオ(青)の信仰」という
- 建皇子
- 「建王」『日本古代氏族人名辞典 普及版』吉川弘文館、2010年。ISBN 978-4642014588。 「 保久良 古墳」『平成23~25年度大淀町文化財調査報告 - 保久良 古墳・畝火山口 神社 の水取り神事・大岩大日堂・世尊寺の文化財・槇ヶ峯古墳-(奈良県大淀町文化財調査報告書 第7集)』奈良県大淀町教育委員会、2015年。
- 金鳥山
- 院による標高点338m付近一帯が山頂とされる。この尾根上には、標高の高い側より本庄山(424.5m, 三等三角点)、金鳥山(338m, 標高点)、 保久良 山(185m, 標柱あり)と連なっている。 金鳥山の山頂付近の登山道脇にはベンチが置かれた休憩所があり、神戸市東灘区や灘区、中央区方向の眺望が良い。
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