定額寺
基本情報
- 所在地
- 〒671-0255
兵庫県姫路市花田町小川524-7
- TEL / FAX
-
079-253-0505
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
- 最寄り駅
- JR播但線 野里 1730m
- JR播但線 京口 1900m
- JR神戸線 東姫路 2370m
- 周辺情報
- あかつき保育園 保育所
- 姫路市立花田中学校 中学
- 小川公園 近隣公園
- ショッピングセンターヴェルゼ ショッピングセンター・モール、複合商業施設
- ヤマダストアー花田店 その他のスーパーマーケット
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- 定額寺
- 定額寺 (じょうがくじ)とは、奈良・平安時代に官大寺・国分寺(尼寺を含む)に次ぐ寺格を有した仏教寺院で、その歴史上での展開には諸説ある。 定額寺 の「 定額 」が一体何を指しているのかについては、諸説があって結論が出されておらず、従ってその具体的な定義を行うのは困難である。
- 山号
- また、日本の場合、延暦 寺 や金剛峯寺は、それぞれ比叡山 寺 、高野山 寺 と呼ばれたが 定額寺 に認定され 寺 号が定まった。 [脚注の使い方] ^ 諸戸立雄著『中国仏教制度史の研究』(平河出版社、1990年) ^ 堀池 春峰「山号」『世界大百科事典 11』(平凡社)p.470 寺 号(院号) 日本三霊山 中国四大仏教名山
- 真言宗山階派
- 大本山 勧修寺(京都市山科区) 別格本山 田福 寺 (和歌山市) 準別格本山 一般寺院 教会 真言宗山階派の歴史は勧修寺の開創に始まる。勧修寺は醍醐天皇国母藤原胤子の発願により、外戚宮道氏の邸宅を伽藍として、承俊を開山として建立された。905年(延喜5年)には 定額寺 、年分度者を置くことを許されて、真言宗・三
- 伊豆国分寺
- 以上を基に市誌編纂事業では、国分尼寺に塔は設けられた例がないことから市ヶ原廃寺は「 定額寺 の某 寺 」でありかつ『日本文徳天皇実録』に 定額寺 として見える「大興寺」に充てられ、新たに建てられた 寺 が「法華寺」だとみなされた。ただし市ヶ原廃寺の遺構は明らかとなっていないため、伽藍配置や規模含め問題が残されている。
- 官寺
- 寺 に含んで考えられる事も多い。また、これよりも小規模な有封 寺 (有食封 寺 )・諸 寺 と言った寺院も存在した。更に皇室の私 寺 的色彩の強い勅願 寺 や有力な貴族・豪族の氏 寺 であった私 寺 のうち官の保護を受けた 定額寺 も官 寺 に准じて扱われることがある。 中世以降は、幕府が特に保護・帰依した禅宗の寺院を官 寺 と呼ぶ。
- 真言宗豊山派
- 寺 伝によれば、天武朝の朱鳥元年(686年)、道明が初瀬山の西の丘(現在、本長谷寺と呼ばれている場所)に三重塔を建立。神亀4年(727年)には徳道が東の丘(現在の本堂の地)に十一面観音像を祀って開山したとされるが、伝承の域を出ない。 承和14年(847年)12月21日に 定額寺
- 播磨国地震
- グレゴリオ暦8月3日)、播磨国で発生した地震である。震央は現在の兵庫県姫路市付近、規模はマグニチュード 7 程度で、山崎断層の活動によるものと考えられている。 播磨諸郡の官舎・諸 定額寺 の堂塔がことごとくくずれ倒れ、平安京内外で建造物がところどころ崩壊した。約1年後の貞観11年5月26日 (旧暦)(869年7月13日)、 陸奥国東方沖でM8
- 寺格
- 古代に朝廷は官 寺 を定めて『延喜式』で、官 寺 のうち大寺、国分寺、 定額寺 (じょうがくじ)及び大寺、有封 寺 、諸 寺 の2種3階級に区分した。天皇の祈願 寺 は勅願 寺 と称された。 中世に、皇族と貴族が住職を務める門跡寺院が生じた。門跡は宮門跡、摂家門跡、准門跡、脇門跡などに分けられ、その下に院家、准院家などが生じた。官 寺
- 国分寺
- 『国史大辞典』国分寺一覧表を基に、現状況を考慮して修正を加え掲載。 ウィキメディア・コモンズには、国分寺に関連するカテゴリがあります。 追塩千尋『国分寺の中世的展開』(吉川弘文館、1996年(平成8年)) ISBN 464202753X 官 寺 郡 寺 定額寺 国府 国府八幡宮 総社 安国寺(安国寺と利生塔)
- 2月30日 (旧暦)
- 天平5年(ユリウス暦733年3月20日) - 『出雲国風土記』完成(異説あり)。 承和2年(ユリウス暦835年4月5日) - 高野山金剛峯寺を 定額寺 に列す(『続日本後紀』承和8年2月7日条)。 永正元年(ユリウス暦1504年3月16日) - 甲子革令のため、文亀より永正に改元。 寛永元年(グレゴリオ暦1624年4月17日)
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