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興山寺

基本情報

所在地
〒649-6111
和歌山県紀の川市桃山町最上561
TEL / FAX
0736-66-2620
e-MAIL
URL
業種
寺院
コメント
最寄り駅
JR和歌山線 下井阪 3490m
JR和歌山線 岩出 3600m
JR和歌山線 船戸 3870m
周辺情報
紀の川市桃山支所 区役所、役所、役場の支所、出張所

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興山寺
繊細な獅子や牡丹彫刻、和歌山の 興山寺 国の登録有形文化財に ^ 和歌山県立博物館編 『特別展「没後四〇〇年 木食応其―秀吉から高野山を救った僧―」』 和歌山県立博物館、2008年。 ^ 福井文雄 「木食上人の生涯とその事蹟」 興山寺 (私家版)、1970年。 水原堯栄 「木食 興山 応其上人―安楽川 興山寺 を尋ねて橋本郷應其寺に詣ず―」
高野山真言宗
山に建立した清巌寺と、その隣にあった1590年(天正18年)に木食応其が建立した 興山寺 を、1869年(明治2年)に合併して寺号を金剛峯寺とした。青巌寺は、建立当初は寺号を剃髪寺と称していた。 興山寺 は後陽成天皇より「 興山寺 」の勅額が下賜された勅願寺であった。 合併以前は、寺号の金剛峯寺は高野山全体を指
木食応其
にあたった。天正18年(1590年)には高野山内に 興山寺 (廃寺)を開基した。その際、秀吉が後陽成天皇に奏請して勅額が掲げられるとともに、「 興山 上人」の号を賜った。「 興山寺 」の寺名は、高野山の「中興開山」から来ている。また、同年荒川荘に同名の 興山寺 も開基している。文禄2年(1593年)には秀吉の母
興山寺 (廃寺)
興山寺 (こうざんじ)は、明治2年(1869年)まで高野山上に存在した寺院。高野山小田原谷の西端、本中院谷との境付近の北側、現金剛峯寺境内の西半分の敷地にあったが、現存しない。「 興山寺 」の寺名は、高野山の「中興開山」から来ている。行人方の役寺で、文殊院とも号した。本尊は阿弥陀如来。
高野山
山県指定有形文化財。高野山真言宗の総本山で座主の住寺。金剛峯寺は元は高野山全体の称だが、現在金剛峯寺と呼ばれるのは明治2年(1869年)に青巌寺と 興山寺 (廃寺)の2つの寺院が合併したもの。旧青巖寺(剃髪寺)は文禄2年(1593年)、豊臣秀吉の建立、文久3年(1863年)、再建。歴代天皇の位牌や高
勅願寺
(曹洞宗、兵庫県丹波市) - 後円融天皇 興山寺 (廃寺) (真言宗、和歌山県伊都郡) - 後陽成天皇 慶徳山 長保寺 (天台宗、和歌山県海南市) - 一条天皇 那智山 青岸渡寺 (天台宗、和歌山県那智勝浦町) - 推古天皇 天音山 道成寺 (天台宗、和歌山県日高川町) - 文武天皇 七宝山 本 山寺 (真言宗、香川県三豊市)
日本の寺院一覧
向嶽寺(こうがくじ)(山梨県甲州市) 向源寺(こうげんじ)(滋賀県長浜市) 高 山寺 (こうざんじ)(京都市右京区) 興山寺 (こうざんじ)(和歌山県紀の川市) 功 山寺 (こうざんじ)(山口県下関市) 興 正寺(こうしょうじ)(京都市下京区) 興 正寺(こうしょうじ)(尾張高野、名古屋市昭和区) 興 禅寺(こうぜんじ)(兵庫県丹波市) 光前寺(こうぜんじ)(長野県駒ケ根市)
九州西国三十三箇所
同年4月18日、中国観音霊場第1番西大寺において開創記念法要が催された。 なお、百八観音霊場の場合は、当霊場は75番から108番となり、「85番 興山寺 」が追加される ※太字は九州七観音 [脚注の使い方] ^ 第19番 石垣山 観音寺・第20番 仁比山 仁比山地蔵院・第22番 竹崎山 観世音寺・第23番
金山寺味噌
て3ヶ月ほど熟成させる。現在では、野菜の入っていない、あるいは上記以外の野菜入りの製品も金 山寺 味噌と表記される。 鎌倉時代、禅僧心地覚心(法燈国師)は宋に渡り、浙江省杭州にあった径山 興 聖万寿禅寺(通称「徑 山寺 」)で修業し、そこで作られていた嘗味噌の製法も学んだ。帰国後、高野山金剛峯寺を経て、開山し
金峯山寺
金峯 山寺 (きんぷせんじ)は、奈良県吉野郡吉野町吉野山にある金峯山修験本宗(修験道)の総本山の寺院。山号は国軸山。開基(創立者)は役小角と伝える。かつては「山下(さんげ)の蔵王堂」と呼ばれていた。本尊は蔵王堂に安置される蔵王権現立像3躯。本尊は巨像として著名で中尊は約7mもあり、普段は非公開(秘仏)で

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