明鏡寺
基本情報
- 所在地
- 〒644-0032
和歌山県御坊市岩内513
- TEL / FAX
-
0738-22-3792
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
- 最寄り駅
- 紀州鉄道 学門 1570m
- 紀州鉄道 西御坊 1570m
- 紀州鉄道 市役所前 1590m
- 周辺情報
- フォレストイン御坊 ビジネスホテル
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- 明鏡寺
- 聖観世音を、この寺に遷すために聖観音の胸内に埋め込まれていた三寸位の円鏡に因んで 明鏡 大悲の霊光が末世に至るまで曇らないようにと願い、霊光 明鏡 の四文字をもって霊光山 明鏡寺 とした。 理由は不明であるが、宗尊親王の念持仏は 寺 に安置されることはなかった。 応安元年/正平23年(1368年)、二世の玉常曇球
- 円鏡寺
- されたことにより補陀落院と改称されたという。 988年(永延2年)、良祐により現在の伽藍の元が築かれ、一条天皇より「池鏡山 円 鏡寺 」の名を授かる。なお境内に池を造った際に 明鏡 が出土、これを献上したことによる。 1731年(享保16年)4月12日の火災で観音堂が焼失。1741年(寛保1年)3月 観音堂が再建された。
- 八百津町
- 八幡神社(和知) 明鏡寺 - 臨済宗妙心寺派の寺院。観音堂は国の重要文化財。 大仙 寺 - 臨済宗妙心寺派の寺院。 正伝 寺 - 臨済宗妙心寺派の寺院。 南陽 寺 - 臨済宗妙心寺派の寺院。 華厳 寺 - 臨済宗妙心寺派の寺院。 長康 寺 - 臨済宗妙心寺派の寺院。 政宗 寺 - 臨済宗妙心寺派の寺院。 見性 寺 - 臨済宗妙心寺派の寺院。
- 慧能
- 慧能の詩(多版本) 菩提本無樹 明鏡 亦無臺(菩提に本から樹など無い 明鏡 にもまた台など無い) 佛性常清淨 何處有塵埃(仏性は常に清浄だ 何処に塵埃が有るのか) 心是菩提樹 身為 明鏡 臺(心が菩提樹であり 身を 明鏡 台というのだ) 明鏡 本清淨 何處染塵埃( 明鏡 は本から清浄だ 何処が塵埃に染まるというのか)
- 岐阜県指定文化財一覧
- 絵天井〔羽島市・本覚寺〕 金胎両界曼荼羅図〔北方町・円 鏡寺 〕 絹本著色五大明王図〔北方町・円 鏡寺 〕 三千仏図〔北方町・円 鏡寺 〕 如来荒神図〔北方町・円 鏡寺 〕 瑜祗塔図〔北方町・円 鏡寺 〕 渡唐天神像〔北方町・円 鏡寺 〕 絹本著色真言八祖像〔北方町・円 鏡寺 〕 絹本著色釈迦三尊図〔大垣市・天喜 寺 〕 絹本著色涅槃図〔大垣市〕 絹本著色聖徳太子六臣像〔大垣市・浄源寺〕
- 錦津村
- 中学校は1947年度は村単独で錦津村立錦津中学校を設置していたが、1948年に八百津町と錦津村とで学校組合を設立。八百津町の組合立八百津中学校に通学していた。 明鏡寺 [脚注の使い方] ^ 1955年当時は休止駅 ^ 錦津村の駅であるが、1930年に東美鉄道が開設した当初から、駅名は八百津駅であった。 ^
- 神秀
- 直下に悟りに至る「頓悟」思想と対極を為した。(この点を、『壇経』では、神秀の「身は是れ菩提樹、心は是れ 明鏡 台の如し、時時に勤めて払拭せよ、塵埃を惹かしむること勿れ」と、慧能の「菩提本樹に非ず、 明鏡 亦台に非ず、本来清浄(伝本では本来無一物)、何れの処にか塵埃を惹かん」の偈によって象徴している)
- 川崎市立新作小学校
- 末長1丁目(1番~5番、11番~39番) 末長2丁目(1番~13番、16番以降) 公立中学校に進学する場合 川崎市立橘中学校 杉山神社 末長老人いこいの家 明鏡寺 市民プラザ通り(川崎市道) 川崎市民プラザ 川崎市営バス「溝23」系統で、「市民プラザ」バス停から、徒歩約355m・約6分。 ^ 沿革 - 新作小学校(学校ホームページ内)
- 末長 (川崎市)
- 溝口宿と品川宿の半高助郷を命じられる。 1868年(明治元年)- 明治維新。当地は神奈川県の所属となる。 1872年(明治5年)- 学制施行。当地では 明鏡寺 に末長学舎が開かれる。 1874年(明治7年)- 大区小区制施行により、当地は第5大区第4小区に属する。 1889年(明治22年)-
- 七里恒順
- 明鏡寺 生まれ。11歳で出家し、14歳で僧朗勧学の門に入った。のちに博多にある萬行 寺 に入り、萬行 寺 の歴史の中でも 寺 を代表する名僧となる。本山本願寺の執行を務めるほか、本願寺派の学僧の最高位である勧学の授与が打診されるほどであった(本人は固辞し、没後に贈られた)。 萬行 寺
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