葛城蔵王権現社
基本情報
- 所在地
- 〒649-7111
和歌山県伊都郡かつらぎ町大字大畑824
- TEL / FAX
-
0736-22-2924
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 神社
- コメント
- 最寄り駅
- JR和歌山線 中飯降 3750m
- JR和歌山線 妙寺 4400m
- JR和歌山線 高野口 4440m
- 周辺情報
-
ウィキペディア検索
- 蔵王峠
- ウィキメディア・コモンズには、 葛城蔵王権現社 に関連するメディアがあります。 本峠のすぐ東側にある 葛城蔵王権現社 は7世紀、天智天皇の時代に役行者が修験道の行場を開いた所と伝承される。本峠には鏡の宿と呼ばれた 葛城 修験二十八宿の第十四宿があった。紀伊続風土記には「 蔵王権現社 境内十四町 蔵王 峠にあり。森広くして 社 は小祠なり。」と記されている。1986年
- 修験道
- は理論の気合ノ術・合気ノ術、実技鍛錬法の気合の法・合気法を残した。合気の極意「音無きに聞き姿無きに見る」は修験の鍛錬の意味がある。 蔵王権現 (ざおうごんげん) 愛宕 権現 (あたごごんげん) 若一王子(にゃくいちおうじ) 九十九王子(くじゅうくおうじ) 前鬼・後鬼(ぜんき・ごき) 一言主(ひとことぬし、元は賀茂朝臣氏の祖神)
- 山伏
- 中期の『新猿楽記』に大験者次郎という者を「山臥修行者」と書いているのが山伏(臥)の初見である。 大峯などでは、山岳修行者の守り本尊として金剛 蔵王 菩薩( 蔵王権現 )が尊崇された。 厳しい修行をする山伏は、常人にはない力を持つと信ぜられた。密教僧と同じく加持祈祷を依頼され、九字を切り、印を結び、陀羅尼を
- 役小角
- 白雉元年(650年)、16歳の時に山背国(後の山城国)に志明院を創建。翌年17歳の時に元興寺で孔雀明王の呪法を学んだ。その後、 葛城 山(現在の金剛山・大和 葛城 山)で山岳修行を行い、熊野や大峰(大峯)の山々で修行を重ね、吉野の金峯山で金剛 蔵王 大 権現 を感得し、修験道の基礎を築く。20代の頃に藤原鎌足の病気を治癒させたという伝説があるなど、
- 大阪府指定文化財一覧
- 絹本著色阿弥陀三尊来迎図〔奈良国立博物館 寄託〕 四天王寺 石像 地蔵菩薩立像〔大阪市天王寺区〕 藤次寺 木造 弘法大師坐像〔大阪市天王寺区〕 法楽寺 銅造 蔵王権現 立像〔大阪市天王寺区〕 敬正寺 石造 大日如来坐像及び阿弥陀如来坐像〔大阪市平野区〕 如願寺 木造彩色 聖観音立像〔大阪市平野区〕 荘厳浄土寺 木造
- 吉祥草寺
- くださる三輪山から飛来した寛容な神様です。 福裕弁財天:江戸時代初期に天河大弁財天 社 より御霊を勧請した弁財天神。学芸・美容・財運に霊剣があると信仰されている。 役行者千三百年記念碑 葛城 三十八景漢詩碑:1692年「 葛城 名区考」より ⑪茅原爆竹「行尽山村三両程 人言此地役公生 役公所過応无厲 何事新年爆竹声」
- 天満大自在天神
- 北野天満宮では、平成14年に魑魅魍魎が都へ入るのを防ぐためにつくられた、 蔵王権現 の原型像を含む13体の鬼神像がみつかっている。また、 蔵王 信仰の総本山金峯山寺には、日蔵上人により建てられた威徳天満宮があり、豊臣秀頼により改修されている。 ^ 他にも日本金剛覚大王、日本金剛 蔵王 、日本僧本などの異名で呼ばれる。 ^
- 吉野水分神社
- 当時の権力者からも崇敬を受け子授けの神が信仰を集めていたことが分かる。 12世紀ごろには神仏習合により、水分神は地蔵菩薩の垂迹とされ(子守 権現 )、金峰山の 蔵王権現 (金峯山寺)に属する神社として修験道の行場の一つとなっていた。 豊臣秀吉が文禄3年(1594年)に吉野の花見で吉水院(現・吉水神社)を本陣
- 菅原道真
- 鉾太刀など、さまざまなものを神社仏閣へ奉納している。 寛平8年(896年)2月10日、勅命により道真が長谷寺縁起文を執筆していたところ、夢に3体の 蔵王権現 が現れ、「この山は神仏の加護厚く功徳成就の地である」と、告げられたという。 昌泰元年(898年)10月17日、夢に祖父清公が現れ補陀落に行きたいと
- 日本遺産
- ippou_chousa/backnumber/2020pdf/20200601030.pdf. ^ “初の「日本遺産の日」にぎわう”. 共同通信 社 . (2020年2月13日). https://web.archive.org/web/20200213103824/https://this.kiji
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