瑞龍院
基本情報
- 所在地
- 〒690-0121
島根県松江市古志町454
- TEL / FAX
-
0852-36-8664
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
- 最寄り駅
- 一畑電車北松江線 松江イングリッシュガーデン前 2110m
- 一畑電車北松江線 朝日ヶ丘 2590m
- 一畑電車北松江線 長江 3680m
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- 瑞龍院
- 瑞龍院 (ずいりゅういん)は 院 号。寺院の名称としての 院 号と、人物に与えられた 院 号とがある。 瑞龍院 (山形県白鷹町) - 山形県西置賜郡白鷹町にある曹洞宗の寺院・稲荷山 瑞龍院 。 大沢山 瑞龍院 - 佐竹義篤が建立した寺院。 茨城県常陸太田市にある旌桜寺の古称。 瑞龍院 (君津市) - 千葉県君津市にある寺院。里見義弘が開基。
- 日秀尼
- 瑞龍 寺中興三大比丘尼の1人。豊臣秀吉(羽柴秀吉)の同父姉、秀長と朝日姫の異父姉。夫は三好吉房で、秀次・秀勝・秀保の生母。 諱は智(とも)。位記上の本名は智子(ともこ)とされる。日秀は出家後の法名(法諱)。字は妙慧(みょうえ)。道号は村雲で、通称に村雲尼(そんうんに)。 院 号は 瑞龍院
- 大政所
- 大政所(おおまんどころ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。豊臣秀吉・豊臣秀長・ 瑞龍院 日秀・朝日姫の生母。名は仲(なか)と伝えられる。法名は春岩(春巌)、 院 号は天瑞院(てんずいいん)。位階は従一位。 従一位陞叙以前には二位尼君(にいのあまぎみ)と呼ばれ、従一位と摂政関白の母の尊称である大政所
- 瑞龍寺 (高岡市)
- ウィキソースに微妙公御夜話の原文「高岡 瑞龍院 御建立遊され候節、百姓旦那共、御菩提所に、下々位牌立て置き申し候儀」があります。 加賀藩初代藩主前田利長(1562年 - 1614年)が、織田信長・信忠らの追善のため、文禄3年(1594年)金沢に創建した宝円寺(後に法円寺と改称)が 瑞龍
- 豊臣秀勝
- 豊臣 秀勝(とよとみ ひでかつ / とよとみ の ひでかつ) / 羽柴 秀勝(はしば ひでかつ)は、安土桃山時代の武将、大名。豊臣秀吉の姉である 瑞龍院 日秀と三好一路の次男で、秀次の弟、秀保の兄。 幼名は小吉(こきち)。他の秀勝との呼び分けとして、史家は便宜上、小吉秀勝(または三好秀勝)と呼ぶことが
- 瑞龍寺
- 愛知県豊田市稲橋町にある臨済宗の寺。⇒ 瑞龍 寺 (豊田市)を参照。 近畿地方 三重県三重郡菰野町にある臨済宗妙心寺派の寺。⇒瑞竜寺 (三重県菰野町)を参照。 滋賀県近江八幡市にある日蓮宗の尼門跡寺院(村雲御所)。豊臣秀吉の姉・ 瑞龍院 日秀(村雲尼)とその一族の菩提寺。⇒ 瑞龍 寺 (近江八幡市)を参照。 大阪府大阪市浪速区にある黄檗宗の寺。⇒瑞龍寺
- 豊臣秀保
- 豊臣 秀保(とよとみ ひでやす/とよとみ の ひでやす)/羽柴 秀保(はしば ひでやす)は、安土桃山時代の武将、大名。豊臣秀吉の姉 瑞龍院 日秀(とも)の子で、後に豊臣秀長の婿養子となる。大和国の国主で大和大納言と呼ばれた秀長を継ぎ、官位が中納言であったことから、大和中納言(やまと ちゅうなごん)の通称で呼ばれた。
- 瑞龍寺 (岐阜市)
- 瑞龍 寺(ずいりょうじ)は、岐阜県岐阜市寺町にある臨済宗妙心寺派の寺院である。 山号は金寶山。 臨済宗妙心寺派の坐禅修行の出来る専門道場であり、雲水(禅の修行僧)の修行の場である。 総門を入ると参道の右に瑞雲 院 、鶴棲 院 、臥雲 院 。左に、天澤 院 、開善 院 、雲 龍院 の6つの寺(塔頭)がある。一番奥には雲水の修行道場である僧堂がある。
- 前田利長
- 享年53。法名は 瑞龍院 殿聖山英賢大居士。高岡に葬られ、のち利常が菩提寺として 瑞龍 寺(堂宇は1997年国宝指定)を整備した。高岡市立博物館で肖像画等の関連資料を常設展示している。 墓所 富山県高岡市大野の前田利長墓所 富山県高岡市関本町の高岡山 瑞龍 寺(菩提寺) 石川県金沢市野田町の野田山墓地
- 善正寺 (京都市)
- 「 瑞龍 寺・善正寺を建立」 慶長三年(1598年)後陽成天皇より京都今出川村雲の地と洛東岡崎に、あわせて寺領1000石と 瑞龍院 の 院 号が下賜される。 このときともは名を「 瑞龍院 妙慧日秀」と改め、拝領した村雲の地に 瑞龍 寺を建立して移り住んだ。 そして 瑞龍
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