大照院
基本情報
- 所在地
- 〒758-0061
山口県萩市大字椿青海4132
- TEL / FAX
-
0838-22-2124 / 0838-26-3118
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
- 最寄り駅
- JR山陰本線 萩 910m
- JR山陰本線 玉江 1550m
- JR山陰本線 東萩 3010m
- 周辺情報
- 萩市立椿西小学校 小学
- 萩市民病院 病院(動物は除く)
- 山陰本線 鉄道路線名
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- 大照院
- 大照院 (だいしょういん)は、山口県萩市にある臨済宗南禅寺派の寺院である。中国三十三観音霊場第二十番。 延暦年間(8世紀末 - 9世紀初)に月輪山観音寺という前身寺院があったというが、創建の事情は定かでない。その後鎌倉時代末期に建長寺の義翁和尚が 大 椿山歓喜寺と改め、臨済宗の寺院とした。その後荒廃した
- 東光寺 (萩市)
- 萩藩主毛利家の墓所は、 大照院 隣接地と東光寺隣接地にある。 毛利輝元の子の初代藩秀就は、慶安4年(1651年)に萩城で没し、天樹院で火葬されたあと歓喜寺に葬られた。2代藩主綱広は亡父のため、承応3年(1654年)歓喜寺の改修に着手し、明暦2年(1656年)に完工した。この時、秀就の法号 大照院 にちなんで寺名を 大照院
- 毛利綱広
- 大照院 。昭和3年(1928年)11月に従三位を追贈された。 父:毛利秀就(1595-1651) 母:喜佐姫(1598-1655) - 竜昌 院 、徳川秀忠の養女、結城秀康の長女 正室:千姫 - 高寿 院 、松平忠昌娘 長女:良 - 吉姫、青陽 院 、松平義行正室 次女:品 - 内藤弌信継室
- 毛利治親
- であった。享年38。跡を長男の斉房が継いだ。 墓所は山口県萩市椿の 大照院 。 父:毛利重就(1725-1789) 母:登代子 - 瑞泰 院 、立花貞俶次女 正室:節(とき)子(1756-1815) - 邦媛 院 、田安宗武の五女 側室:明善 院 - 小泉氏 長男:毛利斉房(1782-1809) 次男:毛利斉熙(1784-1836)
- 毛利就言
- 生まれる。明和7年(1770年)、広圓の死去により家督を相続する。しかし、7年も経たない頃の安永5年(1777年)8月23日に没し、 大照院 境内に埋葬された。法名は 大 要 院 三應了玄。享年23と若くしての死去であったが、嗣子はおり、幼少の嫡男・安次郎(のちの親頼)が家督を相続している。母は享和3年(1803年)に没している。
- 毛利斉熙
- 院 、山口県萩市椿の 大照院 。 父:毛利治親(1754年 - 1791年) 母:明善 院 - 小泉氏 養父:毛利斉房(1782年 - 1809年) 正室:三津 - 法鏡 院 、池田治道長女 側室:真嶺 院 (志津・花ノ井) - 池上藤大夫娘 女子:由美子 - 蓮容 院 、毛利斉元正室 次男:毛利斉広(1814年
- 8月15日
- 萩・万灯会 送り火( 日本) 山口県萩市の東光寺で毎年この日に行なわれる。萩の夏の風物詩『萩・万灯会』は、萩藩主毛利家菩提寺である 大照院 と東光寺が舞台で、8月13日の「迎え火」は 大照院 、8月15日の「送り火」が東光寺で行なわれる。「萩・万灯会」では、墓所にある500基を超える石灯籠に火が灯る。 精霊流し花火大会(姪浜花火大会)(
- 常照院
- 照院 殿常祝日教 大 神祇」に因んで「常 照院 」と改められた。 本堂(屋根には鍋島氏の家紋、石井氏の家紋、日蓮宗の宗紋が掲げられている) 鬼子母尊堂 茶室(開基檀越の石井氏の寄進) 佐賀藩祖鍋島直茂が、正室陽泰 院 を見染めたのはこの地であるという。寡婦となっていた陽泰 院
- 西阿知和町
- 大 宮司の藤原範忠により、滝山寺領として定められたとされる。 滝山寺の勢力の衰えにより、戦国時代には諸勢力により侵され、やがて松平信光の弟・松平信季が西阿知和城を居城とし阿知和氏を称した。江戸時代になり西阿知和村、東阿知和村となった。 西阿知和城 大照院 若宮八幡宮 於新造古墳
- 円照院
- 円 照院 (えんしょういん、慶長2年(1597年) - 寛永20年10月18日(1643年11月29日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての女性。姫路藩主本多忠政の次女。母は松平信康の次女・熊姫。小笠原忠脩正室、後に小倉藩主・小笠原忠真正室。実名は亀姫(かめひめ)。
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