護国寺
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- 護国寺
- オープンストリートマップに 護国寺 の地図があります。 護国寺 (ごこくじ)は、東京都文京区大塚五丁目にある真言宗豊山派の寺。神齢山悉地院大聖 護国寺 と称する。 天和元年(1681年)2月7日、徳川綱吉は母、桂昌院の願いをうけ、高崎の大聖 護国寺 住持であった亮賢に高田薬園の地を与え、桂昌院の祈願寺 護国寺 の建立を命じた。
- 東寺
- 「教王」とは王を教化するとの意味であり、教王 護国寺 という名称には、鎮 護国 家の密教寺院という意味合いが込められている。宗教法人としての名称が教王 護国寺 であるため、寺内にある建造物の国宝・重要文化財を指定する『官報』告示の名称は「教王 護国寺 五重塔」等となっている。ただし、「東寺」も単なる通称・
- 真言宗豊山派
- 登場し長谷詣として知られる総本山長谷寺や、東京の大本山 護国寺 ・西新井大師(總持寺)は豊山派の象徴である。 真言宗智山派とは、興教大師覚鑁が創始した新義真言宗という同一宗派であった。豊山派は徳川家との縁も深く、幕府の庇護を受けると共に、大本山 護国寺 は関東における布教の拠点となった。関東では多くの信者を
- 護国寺駅
- 護国寺 駅(ごこくじえき)は、東京都文京区大塚五丁目にある、東京地下鉄(東京メトロ)有楽町線の駅である。駅番号はY 11。駅名の由来は 護国寺 が近隣にあることに由来する。文京区最西端の駅である。 1974年(昭和49年)10月30日:開業。両端駅(池袋駅、銀座一丁目駅)の自動改札化に伴い、自動券売機で
- 首都高速5号池袋線
- 。飯田橋付近より江戸川橋付近まで神田川沿いを進み、河川上部の高架橋の基礎工事は、河川改修工事と同時に施工した。江戸川橋付近から南池袋付近にかけては 護国寺 交差点のラーメン橋を除き短支間のプレストレスト・コンクリート橋、その先の山手線、赤羽線(埼京線)の線路を越えるまでの区間は鋼構造で建設された。六ツ
- 東京都道435号音羽池袋線
- 音羽通り:目白坂下交差点 - 護国寺 交差点 不忍通り: 護国寺 交差点 - 護国寺 西交差点(東京都道437号秋葉原雑司ヶ谷線との重複区間) 護国寺 交差点 - 護国寺 西交差点(東京都道437号秋葉原雑司ヶ谷線)約200m 東京都 文京区 豊島区 護国寺 交差点 - 東京都道437号秋葉原雑司ヶ谷線 護国寺 西交差点 -
- 東京都道437号秋葉原雑司ヶ谷線
- - 池之端交差点、名称無し交差点(上野公園前交差点付近) - 上野駅前交差点 ※後者は支線 東京都道435号音羽池袋線: 護国寺 交差点 - 護国寺 西交差点 目白台から日本女子大学附属豊明小学校の地下を抜け、神田川を渡り新目白通りと接続する事業が進んでいる。外苑西通りの若松町交差点への
- 東寺真言宗
- 東寺真言宗(とうじしんごんしゅう)は、日本における真言系仏教宗派のひとつで、古義真言宗に属する。総本山は教王 護国寺 (東寺)。宗祖は空海(弘法大師)。なお、真言宗東寺派とは、異なる宗派である。 雲形(東寺雲) 総本山 教王 護国寺 (東寺)(京都府京都市南区) 大本山 石山寺(滋賀県大津市) 別格本山
- 石清水八幡宮
- 平安寺時代には神仏習合が進み、宮寺として「石清水八幡宮 護国寺 」と称するようになっていく。白河法皇によって天永2年(1111年)には真言宗形式の塔「大塔」が建立され、翌天永3年(1112年)には天台宗形式の塔「宝塔院宝塔(琴塔)」が建立されたとされている。 また、東寺(教王 護国寺
- 真言宗
- 教王 護国寺 (東寺真言宗総本山)を総本山としている。 平安時代初期の大同元年(806年)、空海が中国(唐)より帰朝。その後空海は、弘仁7年(816年)に高野山金剛峯寺を修禅の道場として開創。弘仁14年(823年)には、嵯峨天皇より勅賜された教王 護国寺
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